「高度成長期を象徴する希望の火だった」。岐阜市も舞台となった1964年の東京五輪の聖火リレーを見守った、金華自治会連合会長の高木幹雄さん(78)=同市啓運町=は、前回リレーの聖火の印象をしみじみと語る。
当時の県内のリレーは、三重県から大垣市などを経て岐阜市に入り、市内では日置江から旧県庁(同市司町)に到着した後、長良橋通りを南下し羽島郡笠松町にいたる約58キロのコースをつなぎ、愛知県に引き継がれた。
1945年の岐阜空襲で市街地の約8割が焼け野原となった岐阜市。戦禍を乗り越えて復興し、高度経済成長期を迎えた中でのリレーとあって、上向く景気に呼応して高揚感に満ちた中で行われた。大学生だった高木さんは「沿道にあふれるほどの人が集まっていた」と人垣が築かれた旧県庁近くで、オレンジ色の炎を燃やす聖火を目の当たりにして感動したという。
今回の東京五輪では、市は県内の聖火リレーの最終区間となる。当時の活力が失われた今、市はにぎわいを取り戻そうと、特殊区間の金華山などを活用した観光振興に注力。「観光客が市の魅力を体験してもらう機会を積極的に設け、滞在し周遊してもらうことが重要」と強調する。
今回の市内のコースにもなっているJR岐阜駅前は再開発ビルが立ち並び、同市司町では市の新庁舎、柳ケ瀬商店街は高島屋南地区再開発ビルと市の新たなシンボルの建設も進み、まちは様変わりしている。高木さんは「活性化するきっかけになれば」と、今回の聖火も希望の火として市を照らすことを願う。
岐阜新聞
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