人は何のために働くのか。
素朴だが根源的な問いに、偽善的にも偽悪的にもならず、正面から向き合うのは難しい。
作家、池井戸潤さん(56)の「下町ロケット」シリーズに出てくる中小企業の経営者であれ、「半沢直樹」シリーズのバンカー(銀行員)であれ、困難な状況のなかでその答えを見つけ出していく。その過程で共感が生まれ、希望が手渡される。作品が働く人への応援歌と呼ばれるゆえんだ。
ドラマの大ヒットで働くことへの深い洞察を持った作家と思われるようになった。しかし、本人は「おもしろい小説を書くことしか考えていないエンターテインメント作家」という強い自我を持つ。
照れ隠しではない。小説を書くときに登場人物の声にひたすら耳をすませ、それぞれの人物が動き出すのを感じるスタイルだからだ。集中して原稿を書き終えて自分に戻ると、「こんなセリフをよく書いたな」と思うこともある。
「庶民派じゃなくて、庶民」
作品は銀行員時代の体験がもとになったわけでも、モデルになる特定の人物がいるわけでもない。ただ、朝早くからタイル工場へマイクロバスに乗って働きにいく祖母や、雪かきのために始発電車で出勤していた庶務行員の働く姿は、今も覚えている。そんな働き方を尊いと感じた記憶が、小説を書くときの羅針盤になる。
屈指のベストセラー作家になってからも、作品の登場人物たちと同じように焼き鳥屋や居酒屋に通う。「庶民派じゃなくて、庶民だから」。気取っただけの店には行かず、がんばっている店を応援し、客が少ないときはひそかに経営まで心配する。
拡大する日が暮れて店のあかりがともり始めた。昼過ぎには執筆を終え、早めの時間からさらりと飲んで、長っ尻はしない。話題は尽きず、明るいお酒だ=東京都内、杉本康弘撮影
人情に厚く、曲がったことは大嫌い。編集者がミスをしても、「誰にでも失敗はある」と笑って許す。でも、その失敗をごまかそうとしたり、うそをついたりすることは決して許さない。
半沢直樹がここにいる――。
本人は否定するが、身近にいる人は折々そう感じている。
アマチュア詩人だった父は「(表現者は)世に出るまでが難しい。いったん出てしまえば後はなんとかなる」とよく言っていた。でも、実際に世に出てみると、どう生き残るかの方がずっと難しいということがわかった。
ラグビーを題材にした『ノーサイド・ゲーム』では最初に書いた600枚ほどをすべてボツにして、書き直した。「評価は読者にゆだねるにせよ、自分で納得できない作品を世に出すわけにはいかない。本だけが特殊な商品だと思ってはいけない」
「下町ロケット」の佃航平社長もここにいた。(加藤修)
登場人物の内なる声に耳を澄ます
拡大するドラマ「鉄の骨」の撮影現場を訪れ、モニターで映像をチェック。趣味の写真撮影に使う愛用のカメラを持参した=東京都内、杉本康弘撮影
――知れば知るほど池井戸さんと半沢直樹が重なって見えます。
違いますよ。まず半沢ほど性格…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル