能登へ贈る東北の失敗と反省 誰のための復興か
大きな被害を受けた能登半島の人たちも、震災前の町をつくりかえる「復興」へ向かう時期が早晩くるだろう。そのとき、東北の復興は参考になるのか――。ニュースレター「アナザーノート」「アナザーノート」は、紙面やデジタルでは公開していないオリジナル記事をメールで先行配信する新たなスタイルのニュースレターです。今回は2⽉25⽇号をWEB版でお届けします。レター未登録の⽅は⽂末のリンクから無料登録できます。あるはずのものがない 11年余り、人口ゼロの状態が続いた福島県双葉町。原発事故という特殊な背景があるが、一から町づくりを強いられているという点で、究極の復興事例と言える。 約1年半前、ようやく30人ほどが町内に住み始めたころ、復興庁の元副大臣が移住してきた。 浜田昌良さん(66)。2022年に参院議員(公明党)を引退すると、家族を横浜に残し、双葉町への引っ越しを決めた。 「ずっと福島の復興を担当してきたので、最後まで見届ける責任がある」。理由はそれだけではなかった。議員の前は20年余り、経済産業省の官僚だった。 「原発事故が起きる前は、推進の役所にいたからね。トラブルが起きても、原子炉を止める、冷やす、閉じ込めることができれば、大事故は起きないと信じ切っていた」 記者が訪ねていくと、地元の漁港で上がったホッキ貝をさばき、刺し身にして振る舞ってくれた。 「魚のおろし方は、引っ越す前に妻に教えてもらった。やってみると、簡単だよ」 器用な人だ。民主党政権時代は野党だったので時間に余裕があり、社会保険労務士の資格を取った。いまは「復興コンサルタント」として、福島の中小企業から退職金協定や個別労働紛争などの相談を受けている。 復興副大臣としては12年12月の政権交代から3年間、先行きがまったく見通せなかった時期の福島の復興にかかわった。 そして予期せぬことに、後任のそのまた後任の副大臣が議員宿舎に知人女性を宿泊させた責任をとって辞任し、再登板。通算5年、副大臣を務めた。組閣のたびにほぼ毎年代わる復興相と比べると、段違いに地元首長から信頼された。 無人だった双葉町にはいま、JR常磐線の駅周辺に新しい役場ができ、39戸の復興住宅が建った。副大臣時代はこの整備にも携わった。 22年10月、復興住宅の3DKの一室に引っ越すと、すぐに気付いた。 「浄化槽がない……。そんなの聞いていなかったなあ」 下水の処理は、個々の家に「浄化槽」を置く方式だと思い込んでいた。が、双葉町は人口が密集している地域と同じように、地下に下水管を通して処分場で一括処理する「下水道」を整備していた。 町によると、下水道の建設費は3億7千万円。福島の復興のため、全額は国費で賄われた。ただ、年間の処理費は2億円ほどかかり、ほぼ町の負担となる。 この1年半で町内に住む人数は倍以上になった……とはいえ、80世帯103人。「1千世帯くらいないと、下水施設の採算はとれないはずだ」 なぜ副大臣まで報告も相談もなかったか考えた。東日本大震災の前の双葉町には約2600世帯が住んでおり、下水道が整備されていた。 「震災前の町をもとに戻す『…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル