阪神・淡路大震災をきっかけにできたNPO「多言語センターFACIL(ファシル)」(神戸市長田区)が今年、設立から25年を迎える。困り事を抱える外国人住民の通訳・翻訳から事業を始め、今では行政や企業、病院からも依頼を受けるビジネスに成長。四半世紀にわたる経験を生かし、能登半島地震の被災外国人支援でも連携を始めた。(玉置太郎) FACILの立ち上げから理事長を務めた吉富志津代さんは今月5日、能登半島地震で被害を受けた石川県や各自治体の国際交流協会の担当者らと、オンライン会議をもった。多言語支援で以前から連携してきた県内NPOに依頼を受け、被災外国人の支援について助言した。 現地からは「外国人住民が避難所までたどり着いていない」「同じ国の出身者に支援物資を届けたいという要望がきた」などの相談があった。 吉富さんは阪神大震災の経験を踏まえ、「日本語の情報が分からず孤立しがちな人に、行政の側から外国人コミュニティーや雇用する企業を介してアプローチする必要がある」と伝えた。FACILとしても連携していくという。能登半島地震と外国人住民石川県によると、県内に住む外国人は一昨年末時点で約1万7千人。国籍別ではベトナム(約5千人)と中国(約4千人)が多い。在留資格別では技能実習(約4千人)が最多で、被害の大きい能登半島北部の6市町にも約600人の技能実習生がいた。県は「多言語支援センター」を設け、相談対応や災害情報の翻訳にあたっている。相次いだ被災外国人からの相談 阪神大震災が起きた1995年1月17日早朝、吉富さんは神戸市北区の自宅にいた。強く揺れたが、マンションの被害は大きくはなかった。 長田区で火災の被害が大きいと報道で知り、関わりのあったカトリックたかとり教会に連絡を入れた。教会が支援活動の拠点になっていた。 神父から「来てくれたら仕事はある」と言われ、応援に駆けつけた。周囲は焼け野原。救援物資や県外ボランティアの受け入れに奔走する中、日本語での情報が理解できず戸惑う外国人住民から、次々に相談を受けるようになった。 吉富さんは外国語大でスペイン語を学び、震災直前まで関西にあるボリビアなどの領事館で働いていた。90年に日系人の就労が自由化され、南米から来日した日系人家族の相談を数多く受けた経験をいかした。 被災後の長田でも避難所や支援制度の情報をスペイン語に訳し、チラシにして配った。教会を拠点にした多言語ラジオ「FMわぃわぃ」の立ち上げにも参加。多くの外国人住民も活動を支える側に加わった。 吉富さんには一つの思いが芽生えた。多言語での支援は必要な専門技術なのに「なぜボランティアなんだろう」と。ビジネスに育てないと続かない、と考えた。 自分の本業が忙しい人は、震災から時間が経つにつれ活動から遠ざかっていく。外国人自身が母語を活用して収入を得られるようにしたい、という思いもあった。 99年6月、ボランティア仲間ら数人で「FACIL(ファシル)」を設立。スペイン語で「易しい」を意味する。地域住民による「コミュニティービジネス」をめざし、通訳・翻訳の価格は一般業者の8割ほどに抑えた。既存の業者からは「価格破壊だ」というクレームも来たという。 当初は個人からの依頼が主で、行政や入管の窓口に出す書類の翻訳が多かった。知人らに声をかけ、翻訳は9言語から対応を始めた。 依頼は徐々に増え、昨年度は約1800件に。自治体や民間企業からの受注も多く、多言語発信の企画段階から携わることもある。対応言語は74に広がり、アフガニスタンのダリ語や、スペインの一部で使われるカタルーニャ語の依頼にも応じた。医療通訳「心のケアも」 活動のもう一つの柱となったのが医療通訳だ。2005年にモデル事業として始め、今は9病院と提携。年間数百件の依頼を受ける。 医療通訳を担うグェン・ティ・ホン・サ(日本名・神山〈こうやま〉みつき)さん(35)はベトナム出身。6年前、初めて同行した病院での経験が忘れられないという。 神山さんは当日朝に依頼の電…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル
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