業務は灯台の管理に加えて、まちおこし――。現代版の「灯台守」というべき試みが愛知県美浜町で始まった。担い手は一般公募で選ばれた若いカップル。移住して町のシンボル・野間埼(のまさき)灯台を活用し、様々なイベントを仕掛けていく予定だ。 地元の一般社団法人美浜まちラボや観光協会、町などによる野間埼灯台ポータル化実行委員会が発案、企画した。 実行委が「週3日、来年4月までの半年間の活動で150万円を支給」という条件で10月末まで募集したところ、20~60代の約30組・人から応募があった。この中から名古屋市中川区の仙敷(せんしき)裕也さん(35)とパートナーの佐々木美佳さん(25)を選んだ。「仕事が軌道に乗ったのは灯台のおかげ」 知多半島の南西、伊勢湾に臨む野間埼灯台は高さ18メートル。1921年の完成で、80年代末に無人化された。眺めとアクセスの良さから知多半島でも屈指の観光スポットに数えられている。 実行委の委員長で町立布土(ふっと)小学校教諭の林達之さん(55)は、美浜まちラボのリーダーでもある。10年ほど前から、普段は閉鎖されている野間埼灯台の内部を一般公開したいと各方面に働きかけてきた。 2021年に航路標識法が改正され、海上保安庁が民間の協力団体に灯台の維持を託すようになった。美浜まちラボも管理を委ねられるようになり、一般公開を任意で増やすことができるようになった。これに合わせ、実行委をつくり、まちおこしの活動にも専従して取り組む「灯台守」を募ることになった。費用は、日本財団などからの助成金で賄う。 仙敷さんはフリーカメラマンで、結婚式で使う写真や動画の撮影を手がけている。コロナ禍以降は、屋外での撮影地として野間埼灯台の人気がとても高くなり、年間120日ほど通っていたという。「仕事が軌道に乗ったのは灯台のおかげ。地元に貢献したい」という動機で応募した。 カメラマンの仕事は続けつつ、会社を退職した佐々木さんと町へ年内にも移り住む。古い金属製のポスト、塗り替えてモニュメントに 2人は宣伝用のウェブサイトを製作。先行して動画はユーチューブで公開した。集客イベントとして、灯台周辺でのテントサウナの設置、キッチンカーも集うマルシェなどを計画している。記念撮影のためのメイク、着替えができる場所を設けることも考えている。仙敷さんは「一つひとつ実現させて、ここで撮影した人が再び戻ってきたくなるような場所づくりをしたい」と話している。 実行委は、今回の取り組みの記念として、布土小に放置されていた古い金属製のポストを塗り替え、モニュメントとして来月に灯台周辺に安置する。林さんは「2人が地域の核となって住民、店、団体をつなぎ、盛り上げていってほしい」と話している。 活動の様子は、25日更新のウェブサイト(https://nomasakitoudaimori.com/)で確認できる。(臼井昭仁) ◇ 〈灯台守〉 海を行き交う船の道しるべとなる灯台を管理する人。光源の点灯やレンズの手入れ、敷地内の清掃といった業務を各地の海上保安庁の職員が泊まりがけで担った。灯台の多くは人里離れた場所にあり、近くに官舎もあった。機械化による無人化が進み、2006年を最後に国内から姿を消した。灯台守の夫婦を主人公にした映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督、1957年)が有名。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル
6 mois Il y a