きょう7日は、日本海の高気圧に覆われ晴れる所が多く、真夏日の所も。梅雨前線の影響で沖縄では大雨のおそれ。湿った空気が流れ込む関東は、南部中心に雲が多い。北海道は次第に晴れる。 きょうの天気 沖縄宮古島地方 大雨のおそれ きょう7日(日曜日)は、梅雨前線が、きのうより南に下がって沖縄地方に停滞する見込みです。前線に向かって南から湿った風が流れ込んでいるため、沖縄付近で前線が活動を活発にしています。大気の状態が不安定になっているため、宮古島地方では1時間に40ミリの激しい雨の降るおそれがあり、あす朝6時にかけて予想される降水量は、宮古島地方の多い所で100ミリです。この100ミリの大部分は、きょう夕方までに降ることになりそうです。宮古島地方では、低い土地の浸水に十分な注意が必要です。また、沖縄本島地方や先島諸島では、あすにかけて落雷や竜巻などの突風に、ご注意下さい。 きょうの天気 九州、四国、本州、北海道は晴れるが きょう7日は、九州から北海道にかけて、日本海の高気圧に覆われる見込みです。このため、九州から四国、中国、近畿は一日を通して晴れるでしょう。東海、北陸、東北では、日中は晴れる所が多い見込みですが、夜は雲が広がりやすいでしょう。静岡県や山梨県では、午後から夜にかけて雨の降る所があり、雷を伴う所もありそうです。関東は、南海上の前線に近いことや高気圧からやってくる湿った風の影響で南部を中心に雲が広がりやすいでしょう。日差しが多くなる内陸の山沿いでは、きょう午後も局地的な雨がありそうです。北海道は、午前中を中心に曇る所がありますが、午後は晴れ間が出る見込みです。 きょうの気温 東海から九州、沖縄で真夏日 きょう7日は、沖縄から九州や四国、中国と近畿や東海では、平年並みか高く、30度前後の暑さの続く所が多いでしょう。北陸や関東と東北南部は25度前後の所が多く、関東では平年並みに戻る所が多い予想です。しばらく続いた暑さは、ひと休みです。東北北部から北海道は、20度前後や15度前後で平年並みか低い所が多いでしょう。オホーツク海側では5月のGW明け頃の気温になる所もありそうです。25度以上の夏日や30度以上の真夏日になる所では、きょうも熱中症のリスクが高くなります。こまめな水分補給、適度な塩分、ミネラル分の補給を心がけ、作業に取り掛かる際には、屋外屋内を問わず、あらかじめ休憩タイムを設定しましょう。最近、新しい生活様式での熱中症予防行動のひとつとして「マスクを外す」ことが推奨されました。夏季の高温や多湿の条件下では、マスクの着用が熱中症のリスクを高めてしまうと指摘されています。他の方と2メートル以上の間隔を確認して「マスクを外す」ようにしましょう。 日本気象協会 本社 高橋 則雄 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
決して一括りにはできない“夜の街” 「政府、自治体は細やかな対応を」スナック研究も手掛ける法哲学者が懸念(ABEMA TIMES)
そのため、都では木・金曜日の夜間、職員が警視庁などと連携し歌舞伎町での見回り活動を実施。一方、都の「ロードマップ」上は「ステップ2」にあり、バーやスナックなどは現在も休業要請中だが、飲食店については午後10時まで営業が可能とされている。 『ABEMA Prime』が5日夜の歌舞伎町の様子を取材したところ、窓を開け放し、自動ドアが閉まらないようにして換気を良くしたり、アクリル板の仕切り、店員のフェイスシールド着用による飛沫防止をしたりするなど、感染症対策をしながら営業している店が多いようだ。また、営業しているバーやスナック、ホストクラブなどもあったようだ。 サントリー文化財団から研究助成を受けた「スナック研究会」代表を務め、成果を『日本の夜の公共圏――郊外化と人口縮減の中の社交のゆくえ』にまとめた谷口功一・東京都立大学法学部教授(法哲学)は「例えば3密対策をとっている居酒屋とホストクラブが一緒かと言えばそうではないし、“バーやナイトクラブ”と言っているが、ガールズバーと喋らないで良いお酒を飲む、いわゆるオーセンティックバーは違う。それからスナックも全部一緒くたに“夜の街”と括ってしまうのは妥当なのだろうか」と疑問を呈する。 「スナックについては、私はタウンページから取った数字から7万軒くらいあると推計していて、第一興商やサントリーなど営業網を持っているところは詳しい数字を知っているだろうが、何軒あるのかは、本当の数字は誰もわかっていない。 9割以上は深夜酒類提供飲食店といって、風適法の届け出で営業できる店だ。これはいわゆる静かなバーや居酒屋も同じ括りになる。その一方、キャバクラやナイトクラブなど、客の横に付いて接客ができるようなものは、風営法上の許可を取らないといけないが、その許可を取って営業している“スナック”も1割くらいある。このように、夜の仕事は法律的に定義にグレーな部分があるので、線引きをするのが難しいところが出てくる。今月4日ぐらいになってから、“ステップ3“の“接待を伴う飲食店”の“接待”が、この風営法上の接待行為ではないかということが分かり始めたために、閉店して損をしたという話が出てきている。もう少し政府、自治体は細やかな対応をして、“この店はやっていい”ということを言った方がいいと思う」。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
スナネコの赤ちゃんが成長…「那須どうぶつ王国」で名前公募(スポーツ報知)
アフリカの砂漠などに生息し、愛らしい見た目から「砂漠の天使」と呼ばれるスナネコの赤ちゃんが、栃木県那須町の「那須どうぶつ王国」で4月27日に誕生し、すくすくと成長している。 同園によると、誕生は日本の動物園で初。赤ちゃんは雌で、誕生時は体重約59グラム、体長約13センチ(尻尾含まず)、尻尾約3センチだったが、現在はそれぞれ約502グラム、約25センチ、約10センチになった。 スナネコは成猫で体長約40~60センチの世界最小級の野生猫。同園は「ユーチューブなどで見た方から『かわいい』という反響が爆発的に寄せられている」と話す。赤ちゃんの体調などを見ながら今月末ごろ公開の見込みで、名前の公募も始めるという。 報知新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
動画解説 南西諸島 強雨・雷に注意(ウェザーニュース)
6/7(日) 7:55配信 ウェザーニュース 沖縄は梅雨空戻り、強い雨に注意です。梅雨前線がやってくるため、沖縄や奄美は雨の降りやすい一日になります。活発な雨雲が通過するタイミングでは、一時的に雷を伴った激しい雨が降る見込みです。 雨が降る分、気温は少し低くなるものの、梅雨らしい蒸し暑さです。 ウェザーニュース 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
吉村府知事の“名参謀”大阪のコロナ対策支えるスーパーウーマンは「いくつになってもチャレンジ」(スポニチアネックス)
新型コロナウイルス感染症に立ち向かう強烈なリーダーシップで一躍名を上げた吉村洋文大阪府知事(44)。そんな知事が事あるごとに感謝する“名参謀”は、実は「いらち」なスーパーウーマンだった。コロナの医療対策で庁内に立ち上げた特別班250人の陣頭指揮を執る健康医療部の藤井睦子部長がこのほど、初めてスポーツ紙の単独取材に応じた。「いくつになってもチャレンジ」を信条にする女性リーダーの横顔に迫った。 全国に先駆け、「入院フォローアップセンター」「大阪モデル」などさまざまな独自のコロナ対策を打ち出した大阪。吉村氏の発信力もあり、全国で注目を集めることになったが、実は実務を担う藤井氏らの取り組みは、当初から抜群のスピード感を誇っていた。 神奈川県で国内初の感染者が出た1月16日。その10日後にはコロナ対策本部を立ち上げた。大阪で感染者が出る以前のことだ。それに合わせて1000人弱の健康医療部内に対策班を立ち上げてきた。「毎日、毎日“この業務が必要だから、こんな班を立ち上げる”という具合。急に4班立ち上げたこともあります」。最大25班で250人。感染者を1例ずつ追うチーム、マスクや防護服を調達する物資班、病院支援班、各国の情報収集など各班の業務は多岐にわたる。 迅速さは国を圧倒していた。「私、せっかちなんです」と笑う藤井氏。実は医療の専門家ではない。「私は一貫して行政の人間で、この(医療分野の)仕事もまだ5年目。そういう意味では慣習、慣例にうといんだと思います」。いい意味で“しがらみのない”藤井氏と、「特定の団体から支援を受けてないのでしがらみを考えずに発信、実行できる」と言い切る吉村氏。自然と一体感が生まれた。 1月末からはほぼ毎日顔を合わせ、休業要請など経済対策を担う「危機管理室」を交えて議論を重ねた。会見では吉村氏の隣に座り、ある日は「僕はうまくいくと思っているが、藤井部長が反対する」と暴露され、大阪の緊急事態宣言解除が決まった先月21日には、席上で「この日を迎えられたのは職員のおかげ」とねぎらわれた。「長時間頑張っているいろんな部署の職員に対して言葉を頂いたと思うと非常にうれしかった」。血の通った吉村氏の感謝の言葉に藤井氏の表情も和んだ。 京大教育学部を卒業し、男女雇用機会均等法施行初年の86年に入庁。当時は女性が配属される職場も限定されており「若いころは壁というか“女性だから”ということを感じたこともあった」という。だが、総務部人事課を皮切りに企画、財務、教育と異動を重ね、自然と「壁」も感じなくなった。その間、2人の子どもを出産。毎朝4時起きで子育てと仕事を両立した。 「自分の力はいくつになっても伸びると思っているんですね。だからいくつになってもチャレンジする」。50歳を過ぎ、現部署に異動した時も本を読みあさり「もの凄く勉強した」。そんなたくましさも備わった女性リーダー。まだまだ歩みを止める気はない。「凄く急いで作ったシステムが多い。だから小康状態の今のうちに、もっとスムーズに対応できるようバージョンアップさせたい」。必ず来るであろう「第2波」に向け、病床確保などの課題に早くも走り始めている。 ≪藤井氏からみた吉村知事≫藤井氏から見た上司・吉村氏は「自身の“これをやりたい!”という事のために、具体的に組織に指示する人」。だが、「部下が意見を言えない雰囲気ではない」と良好な関係だ。4月までは藤井氏も含め、感染状況の把握などに深夜まで奔走。SNSでは「#吉村寝ろ」と知事の体調を気遣う声も上がったが「知事は寝てます、と仰る。ただ1月からずっと、毎日、もの凄くコロナの事を考えておられる」と代弁した。独自政策の裏には前例のない危機事象を誰より考え、動くリーダーたちの存在があった。 ※「いらち」=関西地方の方言。「せっかち」「気が短い」という意味で使われる。 ◆藤井睦子(ふじい・むつこ)1962年(昭37)生まれ、大阪出身。京大教育学部卒業後の86年4月、大阪府入庁。に採用される。主に総務、財務、教育の業務に従事し、15年、府立病院機構に出向し初めて医療分野を手掛けることに。17年4月から現職。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
拉致解決は私たちが継ぐ 横田滋さん、内外動かした行動と決断(産経新聞)
昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、行動と決断で、政府に拉致問題解決を迫ってきた。愛娘(まなむすめ)の救出に生涯をささげた滋さんの生き方は、重大な国家主権、人権の侵害でありながら問題視されることもなかった北朝鮮の拉致問題に国際社会の目を向けさせる一方、日本には国の在り方を問いかけてきた。 ■仲間勇気づけ、時には体を張り 平成9年3月、家族会代表に就いた滋さんは会の結成理由をこう語った。「共通認識を持った家族が一つになることで、少しでも事態が前進すればと考えた」 世間の関心が拉致問題に向いた時流を逃さず、組織的な運動に打って出るという滋さんの判断はやがて、世論を大きく動かす。 「家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」。家族会結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)も、修一さん失踪後、つらい日々を過ごしていた。「滋さんはわれわれの先頭に立ち、誰も関心がなかった拉致事件を全身全霊で日本全国に知らしめた」(市川さん)。 ときの首相ら政治家にも救出運動の後押しを求めつつ、体を張る行動もいとわなかった。17年、北朝鮮側の不誠実さに交渉の手掛かりを欠く日本政府に対し、滋さんは「対北経済制裁発動」を求め座り込みに出る。「拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すこと。躊躇(ちゅうちょ)していると拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージになりかねない」。滋さんは高齢を押し、身をもって政府に毅然(きぜん)とした姿勢を求めたのだ。 ■米国を動かし、国際社会に浸透 滋さんの言動は海外にも影響した。家族会は米政権に協力を求めるためしばしば米国へ渡った。訪米時の滋さんの言動は北朝鮮の人権侵害状況の深刻さを国際社会が理解するきっかけを与えてきた。 アーミテージ国務副長官は15年、拉致解決の後押しを約束。「北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由に日本人拉致問題も含まれる」とまで明言した。 訪米に同行した支援組織「救う会」の島田洋一副会長は「深刻な拉致を伝える中で凜(りん)としながらも優しいほほえみを絶やさない。柔和な人柄は米国に深刻な問題を伝え、共感させる原動力になった」と振り返る。 ■涙とともに励ましあうやさしさ 滋さんにはまた、思いをともにするほかの家族と、泣きながら励ましあうやさしさもあった。 帰国拉致被害者の曽我ひとみさん(61)も滋さんに支えられた一人だ。一緒に拉致された母のミヨシさん(88)=同(46)=は行方不明。14年に帰国後、自ら救出運動に加わった。北朝鮮でめぐみさんと共同生活したこともあるひとみさんに会うたび滋さんは「一緒にいてくれてありがとう」とほほえみ、常に励ましたという。 14年に5人が帰国して以降から拉致問題は進展がない。日本政府は「最重要、最優先課題」に位置付け、安倍晋三首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と無条件で会談する意向を表明したが、道筋は描けていない。 政府が認定する未帰国拉致被害者12人の親世代で存命なのは滋さんの妻、早紀江さんと、有本恵子さん(60)=同(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけになった。滋さんが生涯をかけて闘い続けた拉致解決への思いは政府のみならず、多くの国民が受け継いでいかなければならない。(拉致問題取材班) Source : 国内 – Yahoo!ニュース
横田滋さん知人ら「必ずめぐみさん救う」 救出へ、決意新たに(産経新聞)
横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で北朝鮮による拉致被害者家族会の初代代表、滋さん(87)の死去から一夜明けた6日、知人らは滋さんに思いを寄せ、めぐみさん救出への決意を新たにした。 小、中学校でめぐみさんの親友だった眞保(しんぼ)恵美子さん(55)は「何の根拠もないのですが、めぐみさんが帰ってくるまで元気でいらっしゃるものと思ってきた」と憔悴(しょうすい)した様子で打ち明けた。最後に会ったのは今年1月。病院を見舞い、まどろむ滋さんと言葉は交わせなかったが、妻の早紀江さん(84)は「眞保さんだと分かっているよ」と話してくれた。 眞保さんは滋さんが撮っためぐみさんの写真を自宅に飾っている。「めぐみさんを帰国させ、早紀江さんを支えるためにできることを何でもする」と誓った。 「滋お父さん、間に合わず申し訳ありません」。めぐみさんの同級生の会の池田正樹代表(56)=新潟市=は、言葉を詰まらせた。最後に会ったのは5年前。早紀江さんから容体を聞くたび、焦りが募った。 池田さんは今年4月、新潟市立寄居中を訪れた。滋さんがめぐみさんの入学記念で撮影した写真の背景になった美しい桜は朽ちかけ、ここ数年、花もほぼ咲かない。涙が止まらなかった。「時が流れ過ぎた。改めて、滋さんのめぐみさんへの愛情を胸に、諦めずに尽力する」。そう誓った。 父親が滋さんの同僚で東京都立川市立立川第七中の教諭、佐藤佐知典(さちのり)さん(60)は「生きる限り絶対に拉致問題を風化させない」と悔しさを押し殺した。めぐみさんが拉致された当時、自宅は近所にあった。 救出運動の初期から参加した佐藤さんは「滋さんは仏様のようだった」と振り返る。雨の日も風の日も路上で署名を呼びかけたが、世間の関心は薄かった。それでも滋さんは笑顔で訴え続けた。佐藤さんは「御霊(みたま)がきっと、空から見守っている。必ずめぐみさんを帰国させる」と力を込めた。 横田さん夫妻が住む川崎市のマンション住民が設立した支援組織「あさがおの会」の田島忠代表(78)は1月ごろ入院先を見舞ったのが別れとなった。 住民同士、30年近い付き合いだが「私の顔を見てもはっきりと分かってもらえなかった。状態が良くないと実感した」と振り返る。 めぐみさん拉致が表面化した平成9年2月に初めて、めぐみさんの存在を知った。「人知れず苦労があったと思う。今は安らかに、ゆっくり休んでくださいという思いだ」と声を震わせた。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
強盗傷害疑い大阪の男逮捕 被害女性、ストーカー相談(共同通信)
元交際相手の30代女性の自宅に押し入って女性の両手首をロープで縛り、暴行を加えるなどしたとして、大阪府警捜査1課は6日、強盗傷害と住居侵入の疑いで大阪府藤井寺市の無職富永次朗容疑者(45)を逮捕した。容疑について黙秘している。捜査1課によると、女性は富永容疑者からのストーカー行為について府警に相談中だった。 逮捕容疑は6月、大阪府の集合住宅にある女性の部屋に侵入し、女性の両手首を縛り、両手で首を絞め、馬乗りで顔を殴るなどの暴行を加えて携帯電話を奪い、女性に顔の骨を折るなどのけがをさせた疑い。 捜査1課によると富永容疑者は女性の帰宅前に侵入し待ち伏せした。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「いつか、めぐみをディズニーランドに」横田滋さんが見せたかった“強い日本”(FNNプライムオンライン)
横田滋さんは、いつも、ニコニコしていた。びっしりと細かい文字で書いていたスケジュール表。写真好きなお父さん。日本酒をおいしそうに飲むおじいちゃん。 【画像】拉致解決を訴えた講演の予定を記した滋さん手書きのスケジュール表 でも、こうと決めたら曲げない、強い意志を持った人だった。 北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの父親、滋さんが6月5日、亡くなった。43年間というとてつもなく長い時間を、横田滋さん・早紀江さん夫妻は救出活動に費やした。それでもまだ、「再会」という目標は、かなえられていない。 私が滋さんを取材をしたのはほんのわずかな期間だが、私たちに語ってくれたこと、見せてくれたことをお伝えしたい。 文字びっしり…手書きのスケジュール表で全国行脚 2012年夏、新潟での集会に向かう新幹線の車内で、滋さんが見せてくれた1枚の紙。ボールペンで書かれた小さな文字で、集会、講演などの時間や場所、担当者の連絡先、新幹線の時間や号車番号が、びっしりと記されていた。 早紀江さん:主人がね。書くのマメな人で、好きなんですよね 滋さん:何時の新幹線に乗るとかね 講演の依頼を受けたら、滋さんが自ら細かく情報を書いていく。スケジュールはあっという間にびっしり、という状態が何年も続いていたそうだ。すべての都道府県を訪れ拉致解決を訴えてきたが、この時すでに70代後半で、「体力的にきつい」とも明かしてくれた。 ――講演の依頼を断ったりしないんですか? 早紀江さん:お父さんが聞かないんですよ 滋さん:やはり拉致のことを知ってほしい。先日も新潟に行った。忙しいから駄目ですといったら、今の人たちはめぐみの拉致より後に生まれた人だから。(講演を)やらなかったら関心がなくなってしまう 強い使命感を秘めた言葉も、ニコニコしながら話す滋さん。早紀江さんはいつも、「お父さんは頑固なんだから」と笑いながら、そんな滋さんに寄り添っていた。夫妻は滋さんのこの“頑固”なまでの信念に突き動かされるように全国を飛び回り、多くの人に拉致問題について訴えてきた。 講演で滋さんは、聴衆の感情に訴えかける早紀江さんと対象的に、いつも「どのようにして拉致問題が発覚し、現在に至るのか」を時系列に沿って話すことが多かった。怒りや悲しみを押し出すことはなく、淡々と。めぐみさんが不明になって、手がかりが無い中での大捜索、国への働きかけ、小泉訪朝、ニセの遺骨…。怒濤の数十年をニコニコと、淡々と。 次ページは:滋さんが見せた涙 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「全国道の駅GP」初代王者は宮城・岩出山に(日刊スポーツ)
昨年約168万人が利用した大崎市岩出山(宮城)の道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」が2月下旬、旅行専門雑誌「じゃらん」の企画内で行われた「全国道の駅グランプリ」で、利用満足度1位の初代グランプリを獲得し、全国1173駅の頂点に立った。 【写真】道の駅の外のベンチで食事をする観光客 同誌は20代から50代の男女2525人にアンケートを実施。回答者は18年以降の企画で、全国7地区の道の駅で利用満足度ベスト10に入った71施設を基に、過去3年以内に利用経験があり、行ってよかったと思う施設を3つまで選択した。同回答を集計した結果、同駅が全国一の満足度を獲得した。遠藤悟駅長(69)は「選ばれた時は夢みたいだった。お客様が何度も来たいと思う道の駅作りを従業員の皆さんが頑張ってくれた」と笑顔で話した。 同駅は、同市古川から鳴子温泉郷に続く国道47号線沿いにあり、地場産品や限定販売の北海道名産チョコレートを買い求めて各県から顧客が訪れる。本年度で創業20周年を迎え、大型連休には創業祭を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大で中止となった。それでも遠藤駅長は「日本一になって、今まで以上に接客を高めていかないといけない。身を引き締めて次の20年に向けて頑張りたい」と、従業員が一致団結して、より愛される道の駅を目指していく。【相沢孔志】 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース