政治

延期の立皇嗣の礼「11月中旬」浮上(産経新聞)

 秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」になられたことを国内外に示す「立皇嗣(りっこうし)の礼」について、11月中旬に執り行う案が政府内で浮上していることが分かった。政府関係者が28日、明らかにした。当初は4月19日の予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け延期していた。  9月19日からの4連休の影響など新型コロナの感染状況を見極めた上で、開催が可能と判断すれば本格的に日程の調整を行い、式典委員会を開いて決定する。  政府は感染防止策として賓客と食事を共にする祝宴「宮中饗宴(きょうえん)の儀」を中止し、中心儀式の「立皇嗣宣明の儀」は招待者数を絞った上で4月に行う予定だったが、最終的に延期とした。政府は立皇嗣の礼を皇位継承に伴う一連の儀式の最後と位置づけており、その後に安定的な皇位継承策の議論を本格化させるとしている。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

映画館の人数制限緩和を検討 食事伴う鑑賞巡り、西村氏(共同通信)

 西村康稔経済再生担当相は28日の記者会見で、映画館に関し人数制限の一層の緩和を検討すると述べた。映画館は19日から満席とすることが可能になったが、ポップコーンなどを食べながらの鑑賞は引き続き定員の50%までとの制限が残っている。西村氏は科学的な裏付けが得られることが緩和の条件になるとの考えを示した。  西村氏は映画館側から緩和の要望があったと説明した。既に飲み物は問題なしとされているが、食事の場合、マスクを外した状態が長く続いて感染リスクが高まる可能性があるとして、スーパーコンピューターや人工知能(AI)による分析などを踏まえて検討するとした。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

加藤氏、合同葬経費は必要最小限 9600万円妥当と強調(共同通信)

 加藤勝信官房長官は28日の記者会見で、故中曽根康弘元首相の合同葬の経費として計上した約9600万円は妥当だと強調した。「新型コロナウイルス対策に万全を期す観点から積み上げた。必要最小限だ」と述べた。  経費の内訳として会場の借り上げなどを挙げ「簡素なものにした」とも説明。2020年度補正予算で計上したコロナ対策費ではなく、一般的に使用できる「当初予算の予備費を活用する」と語った。  合同葬は内閣と自民党が10月17日、東京・高輪のグランドプリンスホテル新高輪で実施する。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

「武田VS麻生」波立つ福岡県政界…総務相就任で“三国志”勢力図に変化(西日本新聞)

 衆院議員武田良太(福岡11区)の総務相就任が、福岡県政界の勢力図に微妙な変化をもたらしている。総務相は首相菅義偉が意欲を示す携帯料金値下げなどを担う「花形」ポスト。武田に近い議員も副大臣などに就任し、県内では「武田さんの影響力が大きくなるのは間違いない」との見方が広がる。財務相の麻生太郎、自民党元副総裁の山崎拓、元幹事長の古賀誠による覇権争いは「福岡三国志」と呼ばれてきたが、武田がくさびを打ち込んだ格好。武田と麻生による権力の二分構図が強まることが予想され、首長らは頭を悩ます。 【画像】新内閣を命名するなら?870人に聞いた  「この人事はたいしたもんでしょう」。武田は組閣があった16日夜、周囲にこう語った。  武田は初入閣(国家公安委員長)時にスキャンダルが報じられたこともあり「長くは持たないだろう」(自民県議)と見る向きが大勢だったが、官僚から「面倒見がいい」など評判は上々で、国会答弁も「詰まっているのを見たことがない」(政府高官)と及第点。  所属派閥会長で党幹事長の二階俊博の下で地方選挙にも汗をかき、官邸関係者は「菅さんは武田さんの仕事ぶりを大いに認めていた」と話す。当初、総務相には別の人物の起用もささやかれていたが、二階派への配慮もあり滑り込んだ。  組閣翌日の17日、武田は「一刻も早く携帯値下げの結果を出したい」と多くのマスコミの前で胸を張った。武田と親しい全国町村会副会長の永原譲二(福岡県大任町長)は「総務相は事実上昇格。それだけ期待されているということだ」と声を弾ませた。   ◇    ◇  武田の抜てきに冷ややかな目を向けるのは、閣内に並ぶ麻生だ。  組閣前の15日夜、麻生は武田の総務相起用を聞き、怒りを口にしたという。財務相と総務相は地方交付税の配分などで連携が必要だが、閣僚懇談会で2人は「話すことも、目を合わせることもない」(官邸筋)。  菅にとって麻生はアベノミクス継続に欠かせない存在だ。だが、関係は決して良好とは言えないことから「武田起用はけん制の意味もあるのでは」(同)との観測もあり、麻生側のいらだちに拍車を掛ける。  さらに、武田の弟分の宮内秀樹(福岡4区)が副大臣、鳩山二郎(同6区)が政務官に就いたが、県内の麻生派議員の登用はなし。麻生周辺は「非常にやりにくい。麻生は『やってみりゃ、いいじゃねーか』くらいにしか思ってないよ。お手並み拝見だ」と敵対心を向ける。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

安倍政権が残したものとは? アベノミクスの光と影(THE PAGE)

「7年8か月」「歴代最長」「アベノミクス」――。  安倍晋三前首相が辞意を表明し、1か月が経とうとしている。メディアは上述のようなキーワードと共に、肯定的に評されることが多い。新型コロナ対応、閣僚の不祥事などによりじわりじわりと支持率が低下し続けたことがなかったかのように。安倍政権は確かに最長だ。しかし、肝心の「実」はあったのか。行政学者の目からフラットに見つめてみたい。(行政学者・佐々木信夫中央大名誉教授) 【年表】安倍政権「7年8か月」を振り返る アベノミクスから安保法制、コロナ禍まで期間長くも、短期政権の連続? 8月28日。たまたまその日、首相の在任期間最長を祝う横断幕が山口県庁の玄関などに掲げられたことに対して見解を求められた筆者は「県が税金を投入し、政治的な中立性を求められる公務員の職場である県庁に横断幕を掲示する行為は、行き過ぎだ」(朝日新聞)とコメント。まさかその夕刻に辞任表明するとは露にも思わなかった。 安倍政権は選挙に強かった。この間、衆参選挙を6回行い首尾よく勝ち続けている。  しかし、一歩引いてみると、選挙の度毎(たびごと)に問題、課題をリセットしており、選挙と選挙の間の「短期政権」をつないでみたら、結果的に長期在職になっていた、と見ることもできる。課題先送り型の「長期在職政権」であって、吉田茂、佐藤栄作、小泉純一郎のような問題解決型の「長期政権」とは一線を画す。筆者はそう見る。  実際、本人も「日々、目の前の問題を解決することに一所懸命頑張ってきた。(その結果)長くなった」と述べており、それが率直な気持ちではないか。大過なくは「大過に通じる」 この発想はサラリーマン(特に役人)が退職時ないし転勤時に述べる言葉、「大過なく職務を終えることができまして……」と似ている。  こうした無難な波乗り政治をやっているうちに、世の中は大きく変化している。基層で起きている人口の構造的変化、量的な縮小、質的な構成変化、極端な地域偏在に対応できず、問題を先送りしているうちに取り返しのつかない大過を犯していないか。  筆者なりの安倍政権評を記してみたい。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

GoTo東京追加 加藤長官「経験で感染拡大防止可能」(テレビ朝日系(ANN))

All Nippon NewsNetwork(ANN) 加藤官房長官はBS朝日の番組収録で来月1日から東京を追加する「GoToトラベル」について、これまでの経験で感染拡大は防止できると強調しました。  加藤官房長官:「これまでの経験からしてオール・オア・ナッシングではなくて、こういうやり方をしたらやっていけるんじゃないか、しかしここは駄目だよとかだんだん分かってきた」  加藤長官は「GoToトラベル」について、人が移動しても感染が広がらないように3密回避や換気を徹底するなど新しい形での旅行を国民と事業者に働き掛けていると強調しました。そのうえで、「事業の継続を守ることで雇用を守る」と述べ、感染拡大の防止と経済活動を両立していく必要性を訴えました。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

公明幹事長に石井啓一氏起用へ 竹内譲政調会長、世代交代図る(共同通信)

 公明党の山口那津男代表(68)は党執行部人事を巡り、斉藤鉄夫幹事長(68)を交代させ、石井啓一幹事長代行(62)を昇格させる方針を固めた。政調会長に竹内譲元厚生労働副大臣(62)、選対委員長には西田実仁参院議員会長(58)を起用する。関係者が26日、明らかにした。27日の党大会で決定する。衆院議員の任期満了が来年10月に迫る中、次期衆院選をにらみ、世代交代を図る。  石井氏は「ポスト山口」の一人と目されており、後継者育成も視野に入れた布陣となる。高木陽介国対委員長(60)は再任。斉藤氏と、石田祝稔政調会長(69)は副代表に就く。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

新民主党は新自由主義と決別できたことが重要/田中信一郎氏(千葉商科大学准教授)(ビデオニュース・ドットコム)

(C) ビデオニュース・ドットコム(↑画像をクリックすると動画が再生されます。)  旧立憲民主党と旧国民民主党がともに解党し、その大半が枝野幸男氏が率いる新しい立憲民主党として再結集した結果、150人からの国会議員を擁する大野党勢力が一夜にして登場することとなった。    かねてから立憲民主党に政策面での助言を行い、同党のいわば理論的支柱のような存在となっている千葉商科大学の田中信一郎准教授は、今回の合流が旧民主党の再結集に過ぎないとの見方を一蹴する。  田中氏によると、新しい立憲民主党は新自由主義との決別を明確に打ち出し、市場原理至上主義を否定するとともに、「何が何でも改革」といった改革至上主義も否定している点で、旧来の民主党とは明らかに一線を画した政党になっていると説明する。  かつての民主党は自民党やみんなの党、維新などからの合流組や社会党からの合流組など、様々な出自の議員を内包していたため、新自由主義を明確に否定することができず、また改革という言葉は必ず入れなければならないというような前提があった。ともすれば改革のためには憲法や民主主義を否定することを辞さないという面があったと田中氏は言う。  しかし、3年前の小池東京都知事と前原代表による希望の党騒動の際、新党からリベラル勢力が排除されたおかげで、枝野氏はかえって旧民主党のリベラル勢力を結集させることが容易になった。そして、その立憲民主党がより多くの国民から支持されたために、20年かけても中々実現しなかった民主党内の大掃除が結果的に立憲民主党へのリベラル勢力の結集という形で行われることとなった。  理念的にスリムになった新立憲民主党は、立憲主義の立場から憲法の基本原則の尊重を党の一丁目一番地の、いわば党是とした上で、「過度な自己責任論に陥らず、格差を解消し、一人ひとりが幸福を実感できる社会」を目指すとしている。  これは自助を前面に出す菅政権とも対立軸を明確するものでもあり、また市場原理を否定はしないものの、格差を解消したり、国民の一人ひとり(家族ではなく個人)を幸せにすることが政治の責任であると位置づけるのだと田中氏は言う。  また、旧来の「大きな政府、小さな政府論」についても、この二項対立図式には乗らず、社会がうまく回っていれば大きな政府は必要としないので小さな政府を指向すべきだが、災害や感染症など社会が不安定化し、国民が政府の力を必要とする場面では、大きな政府となることをあえて否定もしないという考え方を「機能する政府」という言葉で表現していると言う。  その他、分散型社会への転換、情報公開と公文書管理の徹底、公正な市場の整備、性的マイノリティなど異なる個人の包摂など、旧来の民主党の路線も踏襲されているが、新立憲民主党の綱領ではそれが旧民主党時代よりも歯切れ良く言い切ったものになっている印象を受ける。  政治学者の田中氏に新立憲民主党の綱領の内容とその意義、旧民主党との違いなどについて、ジャーナリストの神保哲生が聞いた。 ----- 【プロフィール】…

迷ったが総裁選に出馬したことは正解だった/石破茂氏(衆議院議員)(ビデオニュース・ドットコム)

(C) ビデオニュース・ドットコム(↑画像をクリックすると動画が再生されます。)  9月14日に行われた自民党の総裁選では、自民党の各派閥が菅義偉官房長官(当時)支持に回る中、国民からの支持がもっとも高いとされてきた石破茂衆議院議員は苦戦を強いられ、結果的に大敗を喫する結果となった。  総裁選のルールが両院議員総会を主体とする方式になることが決まった時、石破氏は今回の総裁選への出馬は見送ろうかと迷ったという。周囲にも見送るべきだという意見があった。  しかし、これまで3回総裁選に出馬してきた石破氏が今回出なければ、「逃げた」と受け止められるのを嫌った石破氏は不利を承知の上で出馬に踏み切った。  総裁選の結果について「フルスペックの選挙になっていれば結果は違ったものになっていた」との思いを吐露する石破氏ではあるが、今回無理を押して出馬したことで、「多くの方々から自民党にも一筋の光明を見出すことができた」などの言葉をもらったことが励みになったとして、出馬そのものは総じて正しかったと判断していると語る。  また、議員からの支持が集まらなかったことに対しては、ポストや公認などのことで各議員が主流派や勝ち馬に乗りたいという気持ちがそうさせているが、今後そうした流も変わってくるだろうとの見方を示した。  石破氏が訴える改革を不都合に感じる議員が多いのではないかとの質問に対して石破氏は、「自分が訴えている改革や姿勢を不都合に感じている人が一部にはいるかもしれないが、議員の大半が森友、加計、桜を見る会などを再調査することを嫌がっているとは思えない」と語った。  石破氏に総裁選の総括と今後の計画や抱負などについて、ジャーナリストの神保哲生が聞いた。 ----- 【プロフィール】 石破 茂(いしばしげる) 衆議院議員 1957年東京生まれ。79年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年、三井銀行(現三井住友銀行)入社。86年衆院初当選(衆院・旧鳥取全県区)。93年新進党入党。97年自民党に復党。農水相、防衛相、党政調会長、党幹事長などを歴任。衆院11期(鳥取1区)。著書に『政策至上主義』、『日本列島創世論 地方は国家の希望なり』、『日本人のための「集団的自衛権」入門』など。…

民主党は本当に生まれ変わったのか/枝野幸男氏(立憲民主党代表)(ビデオニュース・ドットコム)

(C) ビデオニュース・ドットコム(↑画像をクリックすると動画が再生されます。)    3年前の小池東京都知事による「希望の党騒動」をきっかけに、一旦は袂を分かった旧立憲民主党と旧国民民主党が先週ともに解党し、その大半が枝野幸男氏が率いる新しい立憲民主党として再結集した。その結果、150人からの国会議員を擁する大野党勢力が一夜にして登場することとなった。  「再結集」というと、一旦はバラバラになった旧民主党が「再び元の鞘に戻っただけだろ」と見る向きが多いのは無理からぬ事だろう。しかも、新しい政党は全所属議員による投票の結果、党名も立憲民主党のまま、新党の代表・幹事長も旧立憲民主党の枝野幸男代表と福山哲郎幹事長が引き続き務めることになったという。新党の主要メンバーには枝野・福山両氏のほか、菅直人、野田佳彦元首相を始め岡田克也元外相、玄葉光一郎元外相など旧民主党の代名詞とも呼ぶべき面々が顔を揃え、党自身が略称に「民主党」を使うことを申告しているとあっては、これを「元鞘」と見ない方が難しいというものだ。  しかし、枝野代表はこの「元鞘」説を明確に否定する。そしてその理由として、新民主党は新自由主義を明確に否定できたことをあげる。その精神は立憲・国民の合流交渉の際に両党の幹事長間で合意した党の綱領に明確に謳われている。党の綱領に「反新自由主義」の旗を立てた以上、新民主党の議員は現職も、これからこの旗の下に結集する人も、すべてのメンバーがこの理念は共有することになると枝野氏は言う。  振り返れば民主党の歴史は、内部対立の歴史だった。元々、1996年に赤松広隆氏ら社会党の右派を中心とするグループと自民党から離脱した武村正義氏が率いるさきがけが合流して結党された民主党は、その後自民党、民社党の流れをくむ民政党や旧自民党の小沢一郎氏らグループとの合併を繰り返しながら大きな塊に成長し、2009年には遂に念願だった政権交代を果たした。しかし、その内実は社会党、日本新党、自民党、民社党、みんなの党、維新など、場合によっては理念が180度違う出自を持った議員が非自民・反自民を唯一の旗印に集まった、まるでごった煮のような政党だった。当然、基本的な政治理念に内部で大きな相違があり、それが逆風に晒されるたびに党内対立や内部分裂、お家騒動を繰り返してきた。  2009年に政権交代を目前にして、当時の代表だった小沢一郎氏が検察に付け狙われた時も、一枚岩でこれに対処することできなかったし、菅直人政権時代の2010年の参院選では当時野党だった自民党が消費税増税というくせ玉を公約に掲げてきた時、党内の意見集約ができないまま選挙に突入し、あっという間に参院で虎の子の過半数を失ってしまった。政権から下野した後も、党名を民進党に変えてみたりした挙げ句、当時国民的な人気があった小池都知事に簡単に唆された前原代表が、事実上民主党を解党するというご乱心ぶりを発揮した結果、遂に分裂に至ってしまった。政権から滑り落ちた後、旧民主党勢力は選挙には6連敗し、8年近くも安倍政権の存続を許すこととなった。  しかし、人間万事塞翁が丙午。分裂騒動の際に、小池、前原チームが旧民主党の「リベラル勢力」を排除してくれたおかげで、枝野氏がその勢力を結集させて新たな政党「立憲民主党」を起ち上げることが可能になった。そして、その後、立憲民主党により多くの支持が集まったため、結果的に「希望の党騒動」が百花繚乱状態にあった民主党をリベラル勢力と非リベラル勢力に仕分けする機能を果たすことになった。  これまでの民主党には市場原理主義色の強い、本来であれば自民党から出ていてもおかしくない議員が多くいたことにくわえ、これは社会党の影響かもしれないが、とにかく「改革政党」を名乗ることが必然であると考える議員が多かった。しかし、ここで言う「改革」とは、少なからず小泉改革に代表される新自由主義的な改革の色彩を強く浴びていたと枝野氏は言う。それでは自民党との間の改革競争になってしまい、有権者はあえて政権交代のリスクを取ろうとは考えない。  分裂騒動を経て立憲の旗の下にリベラル勢力(ただし枝野氏はこの勢力を「保守本流」と呼ぶ。その意味は番組内で詳細に議論しているのでそこに譲る。)を結集することが可能になったために、新しい立憲民主党では「市場原理」や、ともすれば改革の名の下には民主主義の否定さえ辞さない「改革至上主義」との明確な決別を党の綱領で謳うことができるようになったのだという。  新立憲民主党の綱領によると、新党の理念の要諦は、党名の「立憲民主党」が表すように日本国憲法の基本理念の尊重を大原則とした上で、政府の透明性を確保することで市民参加を促し、公正な再分配を行った上で、個人の包摂と多様性を推進していくことにあるとなっている。  枝野氏は、特に市民の政治参加を好まない、権威主義的な色彩の強い自民党が、より新自由主義的な市場重視型の政党に変貌しつつある中で、新立憲民主党は市場原理至上主義を明確に否定し、公正や再分配を通じて経済成長を達成していくことを目指すとしている点にあると語る。また、自民党の総裁選でも石破茂氏などから「一極集中の是正」という言葉で問題提起されていたが、自民党が依然として中央集権型の統治体系、経済体系を維持し、むしろこれをより強化していこうとしているのに対し、立憲民主党はエネルギー政策を含め、分散型社会の実現を目指すとしている。  こうした理念は現時点ではあくまで綱領レベルであり、いざそれを具体的な政策論に落とし込んだ時に、どのような内容になるのかや、どのような困難にぶつかるのかなどは、まだ未知数の部分が大きい。また、仮に理念は立派でも、そもそも民主党にそれを実現するだけの政治力や実行力があるのか、国民がそれを信じてもらえるのか、という疑問は依然残る。  こうした疑問に対して枝野氏は、かつての民主党は反対にあったり困難にぶつかったりすると、すぐに方針を変えるところがあり、それが民主党が信用されなくなってしまった大きな要因の一つだとの認識を示した上で、簡単なことではないが、この理念に基づいて、政策を愚直に続けていくことが、結局は有権者の信用を取り戻す最良にして唯一の方法であり、回り道のように見えてそれが政権交代への最短の近道だと考えていると語った。…