2020年の東京パラリンピック開幕まで、500日を切った。大会が注目を集め、障害者を取り巻く環境も変わる、という声がある。多様な人が共生する社会の実現につながるのか。 全盲の障害を持つ東京大学准教授・星加良司さん パラリンピック大会は障害者にとって、いいことばかりではありません。開催に伴う根源的な危うさについて、もっと批判的な議論がなされるべきです。 2012年ロンドン大会は多くの観客を集め、成功したとされています。しかしその成功が本当に障害者にとって意味あるものだったでしょうか。英国の障害学やスポーツ社会学の研究では、多くの批判的見解が示されています。 パラリンピックが大きな国家イベントとなるにつれ、メダルを取ることや、大会そのものが注目を集めることが重視されるようになります。大会が障害のあるアスリートにとって自己実現の場でもあることを踏まえれば、そうした観点はもちろん大切です。 しかし近年、競技は高度になっています。普通の障害者は参加しにくく、障害者がスポーツをする機会の拡大に直接つながるわけでもありません。障害者のための公的予算も競技力向上や大会の啓発に重点が置かれ、他の施策がおろそかになるのが現実です。 障害に対する誤った見方が強められ、固定化されることも心配です。アスリートは、たぐいまれな精神力と、厳しい訓練や周囲の支えで困難を克服している、という感動物語に飛びつくのはメディアの習性です。しかし努力で克服した人はすばらしいが、そうでない人は怠けている、との見方につながりかねません。 問題の根っこにあるのは、私たちの意識に染みついた個人モデルという障害のとらえ方です。それは、困難に直面するのは、その人の体に何らかの不具合があるからという考え方です。その上で健常者の生活に近づけるようにリハビリや訓練により克服する努力が求められたり、社会の連帯や良心の観点からバリアフリー化などサポートがなされたりすることもあります。しかしあくまでも困難の原因は障害者側にあると考えます。 一方、障害学では、社会モデル、という新しい見方をとります。障害者が困るのは、障害のないマジョリティーの都合や利便性だけを考えて社会がつくられてきたからという視点です。困難の一義的な原因は社会の側にあり、それを正そうと考えるわけです。 このモデルは、社会のゆがみを気づかせるもので、外国人や性的少数者、高齢者といったマイノリティーや、力の弱い人の困難をどう克服するかを考えるうえで応用できます。政府も社会モデルへの理解が大切だとは言いますが、いまだに個人モデルに基づく取り組みがあまりに多い。 東京大会の準備が進み、人々の関心は高まります。この機会に社会モデルによる理解を広め、共生社会の実現につなげてゆく。それこそ、パラリンピックのレガシー(遺産)たり得るものです。(聞き手・桜井泉) ◇ 〈ほしか・りょうじ〉 1975年生まれ。社会学専攻で障害の社会理論を研究。全盲の障害がある。小、中、高校と普通学級で学ぶ。 このあと障害者を取り巻く様々な先入観について山本恵理選手に、パラリンピックでメダル数を競う事への違和感を経済学者の星加良司さんに聞きました。 ■パラ・パワーリフティング・山……
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