春。児童養護施設で暮らしていた子たちにとって、施設を離れることとなる卒園は人生の大きな節目だ。 私も、12年前に東京都内の児童養護施設を卒園した当事者である。卒園によって、物理的に1人になり、孤独を感じ、悲しみに包まれる瞬間もたくさんあるかもしれない。でも、どうか自分の今までの歩んできた道や傍らに居た人たちとの時間を忘れないでほしい。信じてほしい。目の前には見えなくても、確かに心の中にある愛を感じてほしい――。 人生の一つの節目を迎えたみなさんに、そのことを伝えたい。 民法改正で18歳で成人となり、選挙権も18歳に引き下げられた。 児童養護施設で暮らす子どもにとって、18歳になるということは、基本的には施設を卒園することを意味する(編集部注:4月の制度改正で、子ども本人の意見も踏まえ、自立への支援が必要と判断される間は22歳を超えても同じ施設などで暮らせるようになった)。 卒園すると、どことなく今、施設に住んでいる子たちに遠慮し、職員さんたちの多忙さを気遣い、訪ねたい気持ちを抑え、施設に寄り付かなくなってしまう子も多い。孤立と孤独が目の前には広がっている。 私は生後4カ月から19歳まで、東京都内の乳児院、児童養護施設、自立援助ホームで生きてきた。 本当の家族のように 18歳まで過ごした児童養護施設は、国が推進している「家庭的養護」という形を20年以上前の当時、すでに実現していた。子ども6人に対し、基本的には職員3人がローテーションで世話をしてくれていた。10年間は子どもも大人も同じメンバーで、本当の家族のように過ごす時間を大切にしてもらい、とても感謝している。 冬は寒いからと寝る前に乾燥機で布団を温めてくれたり、チョッキを手作りしてくれたり。毎晩、絵本を読んでもらう時間も、寝付くまでの「トントン」も、幸福な時間だった。朝にはストーブで下着類を温めておいてくれたので、心も体もポカポカしたのをよく覚えている。 起床は毎朝6時半。でも、私は周りの子たちを起こさないように6時ぐらいにこっそり起きて、30分間、職員さんを独り占めして過ごす時間が大好きだった。みんなには内緒で特別にフルーツをくれることもあった。 年齢が上がると、みんなが寝た後もこっそり職員さんと深夜までたくさんお話をした。これからの人生のこと、まだ幼いながらも自分の思いを、寝不足になりながらも聞いてくれた。 私にとって施設での生活は、幸せそのものであり、生まれ変わっても今の人生がいいと思っている。変な話かもしれないが、子育て・養育する力がないことを認めて施設に預けてくれた両親には感謝している。この施設で一緒に育ったみんなとの関係は、31歳になった今も続いていて、一生の宝物を手に入れることができた。 だから私にとって卒園は、人生の一つの大きな節目であると同時に、初めて自身の人生と向きあう苦しい時期の始まりになった。 卒園後に暮らすようになった自立援助ホームは、児童養護施設を出るなどした若者を自立に向けて支援する施設で、当時、基本的に毎月3万円のホーム費を払うようになったが、それ以外はほとんど児童養護施設での生活と変わりなかった。 それでも私の大好きだった場所ではないこと、一緒に過ごす人たちが変わってしまったことで、物理的には1人じゃなくても、心は孤独だった。今では、自立援助ホームの職員さんたちにも感謝している。たくさん話を聞いてもらった。いまだに顔を出し、また自立援助ホームも一つの「帰れる家」になっている。 ただ、卒園後間もない私には、自立援助ホームで新たな信頼関係を築くことは、とても難しかった。 「死にたい」 心むしばむ感情 そして、同年代の子たちに当たり前に帰る家があり、家族がいるという、自分が生まれながらに手にできなかったものの大きさを実感した。いつしか、「死にたい」という感情が心をむしばむようになっていた。 卒園すれば、またすぐに、他の子が入所して私の居場所はあっという間になくなってしまう。何よりも職員の忙しさは子ども自身が一番よく知っている。 それでも施設に帰りたくて連… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
国内最高齢パンダ「タンタン」死亡 神戸の王子動物園、震災後に貸与
神戸市は、市立王子動物園(同市灘区)で飼われていた雌のジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」が死んだと1日明らかにした。日本にいるパンダで最高齢で、人間の80歳に相当する28歳だった。 神戸市が午後3時半から臨時の会見を開いて詳細を説明する。 タンタンは、阪神・淡路大震災で被災した神戸市が、「被災地に明るい話題を」と要望し、2000年に中国・四川省から貸し出された。名前は一般から公募。21世紀の幕開けという意味を込め、地平線上に太陽が現れる夜明けを意味する「旦」を使って名づけられた。 来日の目的のひとつは、日中共同飼育繁殖研究だったが自然繁殖に至らなかった。 07年には死産を経験。08年には国内で4例目となる人工授精による出産に成功したが、四川大地震で中国の専門家の支援が受けられなかったこともあり、赤ちゃんは生後4日目で死んだ。 02年に借り受けた雄パンダの「コウコウ(興興)」と共に飼育されてきたが、コウコウが10年に死に、以降は1頭で過ごしていた。 合意していた飼育期間が満了するとして、20年に中国への帰国が決まったが、コロナ禍で延期に。21年4月には加齢が原因とみられる心臓疾患が見つかって強心剤の投与などが続けられ、返還期限の延長が続いていた。(杉山あかり、小川聡仁) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ゆっくり歩いて育てた輪島の七面鳥 苦境救った全国の「ファン」たち
能登半島地震から1日で3カ月を迎えた。被害を受けた石川県輪島市に、「阿岸(あぎし)の七面鳥」としてブランド化に成功し、生産者として有名な男性がいる。地震の被害に遭ったが、現在は出荷を再開し、名古屋市のフランス料理店でも味わうことができる。「七面鳥を食べ、能登の復興を全国に知ってほしい」と願う。 鶏舎内はそっと…品質高める工夫の数々 曹洞宗・総持寺祖院などで知られる輪島市門前町の山あいに大村正博さん(72)の鶏舎はある。七面鳥約180羽を1人で手間と愛情をかけて育てる。その味はおいしいと評判だ。 飼育を始めたのは、35年ほど前のこと。地元の仲間と、七面鳥のすき焼き鍋を囲みながら、地域活性化について話していた。おいしくてどんどん箸が進む。「自分たちで育てて名物にできないか」と盛り上がり、1988年に七面鳥の生産組合を設立した。 シイタケ栽培をしていた大村… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
津波にのまれた幼稚園バス 避難の大切さ、絵本で子どもたちへ伝える
東日本大震災の津波と火災で園児5人が犠牲になった宮城県石巻市の私立日和幼稚園の教訓を踏まえ、避難の大切さを子どもたちに伝える絵本が完成した。仙台白百合女子大(仙台市泉区)の学生ら8人が1年ほどかけて制作。仙台市内の児童館などに贈るほか、残りわずかだが、ネット販売も行っている。 絵本は「2人の天使にあったボク」。主人公の小学生、海(かい)くんが地震におびえる中、あいりちゃん、はるねちゃんの2人の女の子に導かれて高台に避難するお話だ。日和幼稚園の遺族らの依頼を受け、子ども教育学科の学生が筋書きや作画に取り組んだ。 制作中、学生は幼稚園の慰霊碑に足を運び、長女愛梨(あいり)さん(当時6)をなくした佐藤美香さん(49)や、春音(はるね)さん(当時6)を失った西城江津子さん(49)の話に耳を傾けた。 愛梨さんらは乗っていた送迎バスごと津波にのまれた。地震の後、バスが高台にある幼稚園から海側に向かわなければ、死なずに済んだ。避難すること、海のそばへ戻らないことの大切さを、どうすれば子どもたちにわかってもらえるか。遺族と学生で議論を重ねた。 幼稚園教諭や保育士を目指している日出山(ひでやま)希望さん(21)は、アルバイト先の児童館でこんなことがあったという。 昨年3月、子どもたちに「もうすぐ震災の時期だね」と話しかけると、「何それ?生まれていないから知らない」と返ってきた。今の小学生たちはみな震災後生まれだ。「あんなに大きな災害のことを知らないのか」と衝撃を受けた。この経験から、絵本づくりへの参加を決めた。 同大で今年3月、出来上がった絵本の読み聞かせがあった。日出山さんたちは「避難の大切さを子どもたちに伝えられる先生になりたい」と、口をそろえた。 遺族の佐藤さんは「(亡くなった)娘たちも『自分たちと同じようになってほしくない』と、思っているでしょう」という。幼い子に理解してもらうには、絵本はとても有効な手段。加えて、愛梨さんと同世代の若者たちと制作することに意味があると考えた。「愛梨が生きていたら、この大学に通って友達になっていたかもしれない」 学生たちは、いつか生まれてくる自分の子どもにも、きっと教訓を語り継いでくれる。そう信じている。(吉村美耶) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「地方で人材育成を」是枝裕和監督、福岡で国際映画祭アドバイザーに
日本映画界を代表する是枝裕和監督がアドバイザー役を担う「ふくおか国際映画祭」が今冬、福岡市内で初開催される。福岡市博多区のららぽーと福岡で3月31日にあったイベントで、是枝監督らが発表した。 映画祭は11月29日~12月8日に開催予定で、一般社団法人「クリエイティブ共生都市」(代表理事=近藤加代子・九州大教授)が主催する。同法人は文化活動などを通じて持続可能な社会の実現を目指す団体といい、子ども向けの映画制作体験会などを開いてきた。 是枝監督は映画祭の期間中、子ども向けの映画教室などを開く予定。「福多(ふくおお)~か」をコンセプトに、子どもや障害のある人を含め、多様な人たちが参加できるような工夫をするという。「映画祭は人材の育成と交流が本分。日本は一極集中なので、地方にそうした拠点ができることは映画界にとっても大事」と是枝監督。 近藤教授は「監督の力も借りて、映画祭を素晴らしいものにしたい」と意気込む。同法人が昨年3月、福岡市・中洲で別の映画祭を開いた際に是枝監督を招待した縁で、今回、「エグゼクティブアドバイザー」就任を依頼したという。 今回のイベントがあった31日午前には、福岡で活動する若手映像クリエーターの作品を是枝監督が講評する特別授業が、福岡市南区の九州大大橋キャンパスであった。午後からは、ららぽーとで、昨年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した是枝監督の「怪物」の上映会とトークイベントも開催された。(松本江里加) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
20代女性にわいせつ容疑、弁護士と区職員逮捕 部屋に残った女性に
酒に酔った女性にわいせつな行為をしたとして、警視庁は、東京都中央区職員の山崎俊範容疑者(33)=東京都渋谷区広尾5丁目=と、第一東京弁護士会所属の弁護士の笹川大智容疑者(33)=東京都港区六本木3丁目=を不同意性交容疑で逮捕し、1日に発表した。山崎容疑者は「同意の上だった」と容疑を否認し、笹川容疑者は黙秘しているという。 捜査1課によると、両容疑者の逮捕容疑は、昨年11月20日午前1時ごろから正午ごろにかけて、渋谷区内の山崎容疑者が住むマンションの部屋で、酒に酔った20代の女性にわいせつな行為をしたというもの。 両容疑者と被害女性を含む男女8人で前日の夕方から飲酒し、泥酔した女性が山崎容疑者のマンションに残ったという。昨年11月、女性が警視庁に被害を訴え事件が発覚した。(遠藤美波) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
初めて葬式に出た小学1年生の決意 「ただしくんは大丈夫やけど…」
兵庫県姫路市の今井雄琉(たける)さん(7)は、昨年夏に初めて葬式に参列した。 大好きな人だったのに、なんだか怖くてひつぎの中の顔には触れることができなかった。ましてや遺体が焼かれるなんて知らなかった。 この日を機に、ある思いを強くした。 ◇ 父方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる正さんは享年53歳。いつも遊んでくれる正さんを「ただしくん」と呼んでなついていた。 正さんの自宅があった京都府内での葬式には、入りきれないほどの人が来ていた。 ホールのはからいで、雄琉さんと弟がひつぎにぬいぐるみを収めることになった。 お葬式で思ったこと、詩につづった お葬式での体験をつづった雄琉さんの詩の全文を記事後半で紹介します。その作品は姫路信用金庫が表彰する「有本芳水賞」の優秀賞に輝きました。 そのとき、傍らにいた父親の… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
輪島の集落、70人去り25人に 仮設住宅はいつ?静まり返った一言
能登半島地震3カ月 被災地の声 住まい、なりわい、地域のつながりはどうなるのか――。能登半島地震の発生から3カ月、石川県の被災者100人に取材したところ、みなさんが将来を見通せない中で暮らしている状況が浮かびました。それでも前へ進もうとしている被災地の声を紹介します。 石川県輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区は、95人いた住民が能登半島地震後に25人に減った。区長の井池(いのいけ)光信さん(68)は、困りごとを話し合える朝の会合を開いたり、集落への仮設住宅の建設を求める要望書を出したりして、集落の外で避難中の70人が戻ってきやすい環境づくりに走り回っている。 金沢市から車で北へ3時間半。ガタガタになった急勾配の道を進むと、棚田が広がる金蔵地区にたどり着く。 元日の激震で、集落に負傷者はなく、倒壊した建物は数戸だったが、全戸で停電、断水した。住民らが続々と自主避難所の集会所に集まった。 自衛隊がヘリで物資を運んでくれるまでの4日間、正月の食材を住民で分け合ってしのいだ。夜は、それぞれ集会所で雑魚寝したり、車中泊したり、傾いた自宅に戻ったり。 土砂崩れや道の損壊で集落は孤立しかかった。市中心部に抜ける道は3本あるが、何とか通れたのは1本。チェーンソーで道の倒木を切り、帰省していた人々は輪島を離れた。 電気と水道の復旧が見通せなかったため、多くの住民がそれぞれの判断で、医療関係者が常駐する県南部の避難所などに次々と避難していった。 自宅が半壊した井池さんは、妻の由起子さん(68)と集会所での寝泊まりを続けてきた。 1月下旬。金蔵地区内の住民は井池さん夫妻を含め、30~70代の10人ぐらいまで減った。 静まり返った集落で話題にな… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「殺しに行く」「金目当て」遺族に続く匿名の誹謗中傷 池袋暴走5年
東京・池袋で2019年に起きた車の暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さん(37)に危害を加える電話を警視庁本部にかけたとして、無職の男(62)=鳥取市=が今年3月、脅迫容疑で警視庁に逮捕された。SNSや電話による松永さんへの匿名の攻撃は繰り返されてきた。事故からまもなく5年。松永さんは妻子を突然失ったうえ、間違った前提による攻撃で二重に苦しめられている。 「殺しに行く」。警視庁本部に昨年10月28日、暴力団組員を名乗る男の声でこんな匿名の電話があった。松永さんによると、男は電話で「歳(とし)のいった受刑者に金を払わせるのはおかしい」と言ったという。 電話の前日、暴走した車を運転していた男性受刑者(92)に対し、東京地裁が約1億4660万円の損害賠償の支払いを命じる判決を出していた。受刑者は保険に入っており、賠償金は保険会社が支払う。脅迫行為の前提は間違っていた。目白署によると、逮捕された男は松永さんと面識はなく、「脅迫したことは間違いない」と容疑を認めているという。 この電話以降、松永さんは約1カ月間、仕事をリモートワークに切り替え、外出を必要最小限に抑えて過ごした。徐々に元の生活に戻していったが、狙われているというストレスは絶えなかったという。「逮捕の知らせを受けてひとまず安心したが、正直疲れた。今回の出来事で受けた心の傷はまだ癒えません」 誹謗中傷を受けるのは今回だけではない。 22年3月、松永さんのツイ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「消費税は取らない」 導入から35年、赤字でも守る駄菓子屋の決意
モノやサービスを買う際に負担する消費税の導入から、4月1日で35年となる。税目別で今やもっとも税収が多い税金になった。所得が低い人ほど負担が大きい逆進性があり、消費税をとらない方針を貫く店もある。 「すごくない? 当たりだったよ!」。3月下旬、東京都北区にある駄菓子屋「斉藤商店」。小中学生が代わる代わる立ち寄り、にぎわっていた。 1947年創業。同じ年に生まれた斉藤敏夫さん(76)が2代目として店番に座る。 店を継いだのは勤め先を定年退職した15年ほど前だが、消費税が導入された35年前のことを今でもよく覚えている。 「子どもに負担、かわいそう」 当時の税率は3%。売り上げの計算が煩雑になるという理由から、レジスターを売りにくる業者が後を絶たなかった。先代の両親は1台を購入してみたものの、一度も使うことはなかった。「子どもたちに消費税を負担させるのはかわいそう」との思いで、消費税分を取らなかったからだ。 5%、8%と税率が上がるのに伴い、利益率が下がっても、斉藤さんは方針を変えなかった。ほとんどの年で赤字という。 年間の売り上げが1千万円以下で消費税の納税義務はないが、年金がなければ生活ができない。それでも消費税相当額を上乗せしないのはどうしてなのか。 小遣い変わらず、「当たり」の確率減 子どもたちのお小遣いは、小学1年なら100円、2年なら200円……というように以前からあまり変わっていないと斉藤さんはみる。一方で物価は上がり、買える商品の数が減ったり、当たり付き駄菓子では「当たり」の確率が以前より低くなったりしたと感じている。消費税を負担させたら、ますます店から足が遠のくではないかという懸念がある。 経済的な問題だけではない。自民党派閥をめぐる裏金事件では、政治家たちに税逃れの厳しい視線が向けられている。まじめな納税者が馬鹿を見るような現状に加え、「そもそも消費税を負担したからと言って、何か私たちに還元されているという気がしない」と斉藤さん。「そんな中で、少なくともうちの店では子どもたちに税金を負わせたくない」 今後、さらなる増税も予想される。「価格転嫁しなければ、もうやっていけない。シャッターを下ろすしかないかな」 「収入1位」の消費税、識者は「深刻な状況」 消費税は「消費に広く薄く負… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル