朝日新聞滋賀県版に毎日掲載される「びわ湖の水位」。どのように、何のために測っているの? 歴史をひもとくと、「秘」と書かれた古文書にたどり着いた。そこには、琵琶湖の水害に長年悩まされてきた滋賀県や下流域の歴史が刻まれていた。
県の面積の6分の1を占め、圧倒的存在感を放つ琵琶湖。貯水量275億立方メートルを誇る日本最大の湖は、西は神戸市、南は大阪府岬町まで京阪神1450万人の生活を支える。
琵琶湖には1級河川だけでも117本の川が注ぐが、実は出口となる河川は瀬田川のみ。瀬田川は京都で宇治川、大阪で淀川となり大阪湾に注ぐ。
瀬田川の川幅は狭く浅かったため、昔から大雨の度に琵琶湖や下流域の人たちは水害に悩まされてきた。奈良時代には僧の行基が川幅を広げようとしたり平清盛や豊臣秀吉も日本海へ水を流そうとしたりしたが断念したとされる。
最大の水害は明治29(1896)年の大洪水。彦根町(現彦根市)では、10日間で1008ミリという豪雨に見舞われた。9月12日には水位が過去最高位のプラス3・76メートルに達し、琵琶湖沿岸は約200日以上浸水し、家屋や田畑の浸水など甚大な被害が出た。
下流域の京都ではこの時、洪…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル