世界で戦火が絶えない今、先行きの不透明さを感じる今、激戦地も赤貧生活も越えて生き抜いた水木しげるさんがいたら、どんな言葉をくれるでしょう――。
水木プロダクションの取締役として、父が生んだ漫画「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品を後世に伝える長女・原口尚子さん。インタビューの後編です。
なまけものになりなさい
水木しげるの言葉です。これは「老いてからのんびりできるよう若い頃は火の玉のように働け」という意味。ユーモラスな言い回しですが、実はそんな熱が込められているのです。
父の来し方を振りかえると、働けど働けど貧乏神から逃れられませんでした。それでも40歳を前に母・布枝と見合い結婚で所帯を持ちます。電気代が払えないこともある、ぎりぎりの暮らしでした。
「売れないから」と約束した原稿料の半分しかもらえないこともありました。作品を抱え、飛び込み営業をしたこともあったそうです。
苦楽をともにした母は、そんな時代への愛惜をエッセー『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)に描き、テレビドラマにもなりました。
人気が出始めた水木の、たまの息抜きはドライブでした。
ふいに家族を誘い出し、母の運転で出かけるのですが、決まって家具店など父の好きな店に立ち寄ります。家族の中心はあくまでも父。令和の子育てのような動き方など考えられません(笑)。
テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のブームが起きると、近所の子どもたちも、ゲッゲッゲゲゲのゲと、楽しげに歌っていました。本当にありがたいことでした。
「おとうちゃんの漫画には未来がない」 父の答えは
でも、水木しげるの娘、というイメージが私につきまとうようになります。
幼い頃から絵を描くのが好き…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル