高校野球の名将・迫田穆成(よしあき)さん(84)が1日朝、亡くなった。監督として1973年夏の全国選手権大会では広島商を優勝に導き、如水館では春夏通算8回の甲子園出場を果たした。全国の舞台で「広島野球」を牽引(けんいん)し、最後まで監督だった。
「選手の個性を見いだし、長所を伸ばす指導法に、いつも感心していた。選手の話を始めると止まらなかった」
迫田さんが2019年から監督を務めた竹原の梶白博志校長(59)が振り返る。昨夏の広島大会で、竹原は35年ぶりに4回戦へ進んだ。「監督の下でプレーをしたい」と、多くの生徒たちが県内各地から集まったという。
今年8月の秋季地区大会もチームを率いたが、10月ごろから体調を理由に公式試合を指揮することはなくなった。だが、11月上旬までは練習にも顔を出していたという。梶白校長は「また復帰されるものと信じていた」と肩を落とした。
逝去5日前、最後の電話で達川さんに頼んだのは
1973年夏に全国制覇した広島商で捕手だった元プロ野球・広島カープの達川光男さん(68)は、迫田さんの教えについて、「創意工夫をこらす野球だった」と振り返る。
試合中の声の出し方について…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル