吹奏楽の名指導者で、「丸ちゃん」の愛称で親しまれた丸谷明夫さんが2021年12月7日に76歳で亡くなりました。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の顧問を長く務め、全日本吹奏楽コンクールに41回出場し、32回金賞を受賞しました。生徒らを育て導いたその手腕と情熱を振り返ります。この記事は、2016~17年に淀工吹奏楽部に密着取材し、朝日新聞大阪版で連載した「オトノチカラ 淀工物語」(全12回)を再構成しました。(肩書や年齢、コンクールなどでの演奏・受賞歴は掲載当時のものです)
強化合宿と思いきや…
兵庫、鳥取の県境にある氷ノ山(標高1510メートル)。高原の山々に、トランペットやフルートの澄んだ音色が響き渡った。
「気持ち良い」「全然違う」
そう声を弾ませる後輩たちを横目に、小橋新大君(3年)は「この合宿で、みんなをまとめるきっかけをつかもう」と心に決めていた。
淀川工科高校吹奏楽部は鳥取県若桜(わかさ)町の宿泊施設で2016年7月23日から2泊3日の合宿に入った。全日本吹奏楽コンクールに向けた強化合宿と思いきや、顧問の丸谷明夫先生(70)は「強いて言うならリフレッシュ」。技術を磨くだけなら学校で十分。普段と違う環境で、自分を見つめ直してほしいと例年、続けてきた。
クラリネット担当の小橋君は4月から、ファゴットの浜脇穂充君(3年)とともに部長になった。元々、物怖(ものお)じせずに言うタイプ。
部長になり、なるべくみんなの意見に耳を傾けようとしたが、うまく引き出せず、結局自分の考えを言ってしまい、どこか空回りしていた。ソロパートを吹くと仲間から「やり過ぎ」「独りよがり」と言われた。どうすべきか悩んでいた。
悩んだ部長の気づき
迎えた合宿。山場は2日目の夕方にある地元の人たちを対象にした野外演奏会だった。小学生からお年寄りまで、幅広い年代の聴衆が一緒に楽しめるよう演出には工夫をこらした。
「幸せなら手をたたこう」の曲では、楽器を置いた部員が右手と左手を描いた看板を振って拍手を求め、「ふるさと」では歌詞を書いたボードを掲げてみんなで歌うようにした。
当日は600人以上が集まり、演奏の合間に曲当てゲームなどをした。「ヤングマン」「明日があるさ」では1年生が衣装を着てダンス。約200人の部員全員で盛り上げ、拍手喝采を浴びた。
「淀工の演奏を喜んでくれる人がこんなにいる。自信になった」と小橋君。合宿で自分と向き合い、聞く姿勢が足りなかったと気づいた。
学校に戻るとミーティングではあえて黙り、聞くことに徹した。すると様々な意見が出るようになった。「みんなの声がやっと聞こえるようになってきた」と笑顔を見せた。
そして間近に迫ったコンクール。淀工は8月13日の府大会で特別演奏をし、28日の関西大会に挑む。全国の舞台で、再び「淀工サウンド」を響かせるための真剣勝負がいよいよ本格化する。
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(2016年8月4日朝日新聞大阪版掲載)
オーディションに「負けられへん」
2016年7月末、淀川工科高校吹奏楽部の練習室で、トロンボーンのパートリーダー近田優月さん(3年)は緊張していた。全日本吹奏楽コンクールへの切符をかけた関西大会を約1カ月後に控え、部員全員で出場メンバーを決めるオーディションがあった。
「オーディションをします」…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル