社会に存在するさまざまな「境界」の今を探り、問題解決には何が必要か、望ましい境界の未来を模索する連載企画「ボーダー2.0」。連載開始直前インタビューは、ゴリラ研究で知られる京都大学前総長の山極寿一さん(69)。生物としての人間や動物、そして自然環境を取り巻く「境界」について語ってもらいました。
――2021年のニュースで「境界」の存在を感じたのは何ですか
「一番は、東京五輪・パラリンピックです。国と国との戦いというのは時代遅れ。酷暑の時期や体調を整えるのが大変な夜間に競技が行われるなど、商業主義が目に余る。一方で選手たちは、自分の努力が実り、支えてくれた周りの人たちに感謝する人が結構多かった。スポーツでは、もう国境をなくした方がよい」
「ノーベル賞で国籍を強く意識しているのは日本だけです。今年の物理学賞を受けた真鍋淑郎さんは米国で活躍している人であり、日本人だとか、国籍が米国だとかいうことは世界では問題にされない。日本では五輪の金メダルと一緒で『日本人がノーベル賞を取った』という話に還元されてしまう」
――霊長類学者からみた人間にとっての「境界」とは何でしょうか
「私は、人間は『越境する動物』だと考えてきた。人間はこれまで、自然界のボーダーを様々な能力を使って越え、世界中に広がった。人間は世界中にたった一種、しかも遺伝的多様性が少ない。文化の力で様々な境界を乗り越えてきた人間こそ、越境する動物なのです。ただ、人間は他の動物の世界へは簡単に入っていけない。アフリカで野生のゴリラと渡り合ってきた私からいわせれば、彼らの世界の中に人間が入っていくためには相当な努力がいる。だから人間は、他の動物との境界を越えるために様々な手段を設けてきた。たとえば、里山は古来、人間が動物との境界をあいまいにするための仕組みだし、動物園もその一つです」
「ゾウがアフリカのサバンナや熱帯雨林にすんでいるように、動物はそれぞれに適した場所がある。ゾウは自ら越境できないので、動物園という人工的な環境をこしらえて人間と対面させてきた。動物園は進化を続けており、以前のように鉄格子越しに動物を見るのではなく、北海道旭川市の旭山動物園のようにモート(堀)を隔てて、あたかもボーダーが存在しないかのように生きた動物を見て、学べる。人間側の学びを通して、人間と動物との間にあるボーダーを意識し直す仕掛けなのです」
――北海道では住宅密集地に現れたヒグマが人を襲うなど、境界があいまいになっています。人間と動物の境界はどうあるべきでしょうか
「動物に人間の存在をきちんと悟らせて、その間に心理的な境界を設けるってことを、昔から人類はやってきた。アフリカのマサイの人たちはライオンと共存している。野生動物との間に、心理的な壁がきちんとできているのです」
記事の後半で山極さんはコロナ禍と自然のバランスとの関係を語ります。
「日本でも昔は奥山に分け入るのは猟師だけだった。猟師は怖いから、サルもシカもクマも近づかなかった。ところが、現代では自然の恐ろしさを知らない登山者が簡単に入っていく。近くに隠れているクマにとっては人間などたわいもない存在に見える。しかも畑が放棄され、おいしい食べ物が得られる。人家のそばにはいっぱい食べ物がある。クマが出てこないわけがない。ここから先には出てきてはダメ、人間に近づいてはダメ、という心理的な壁をどうつくるか。それができなければ物理的な障壁を設けるしかありません」
「兵庫県の森林動物研究セン…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル