福岡市東区の海の中道大橋で幼い3きょうだいが犠牲になった飲酒運転事故から25日で14年を迎えた。飲酒運転撲滅の機運を高めるきっかけとなり、福岡県内では毎年「8・25」に合わせて啓発活動が行われてきた。だが今年は新型コロナウイルスの影響で規模は縮小。1999年に当時大学3年のまな娘を飲酒運転事故で亡くし、長く啓発に取り組んできた福岡県糸島市で農業を営む大庭茂弥さん(73)は事故の風化を懸念する。「飲酒運転ゼロの意識を希薄化させないよう、命の大切さを伝え続ける」と気を引き締める。 【写真】大学の友人が撮影した在りし日の大庭三弥子さん 鳥取大に通っていた次女の三弥子さんは99年12月26日、友人3人をマイカーに乗せて旅行を楽しんだ帰りに事故に遭った。対向車の運転手は女性に交際を断られた憂さ晴らしで飲酒。酔いがさめぬままハンドルを握り、中央線をはみ出し3人の命を奪った。
「正月はミカンの収穫を手伝うけん」。事故の1カ月前にそう話していた三弥子さん。自然を生かした公園造りを夢見て農学部で勉強に励む努力家だった。将来のある3人が犠牲になった大事故にもかかわらず、飲酒運転の厳罰化前だった当時の判決は懲役3年。加害者を恨む日々が続いた。 転機は2001年。飲酒運転事故や犯罪の犠牲者を紹介する「生命(いのち)のメッセージ展」が静岡県であり、参加した。わが子の生きた証しがパネルとなり、それに心打たれる来場者を前に「娘の死を無駄にはしない」と奮い立った。 福岡県内での同展実施を模索する中、06年に3児死亡事故が起きた。「今こそやらな」。07年、同県前原市(現糸島市)での開催を引き寄せた。
15年には犯罪被害者の遺族らがヒマワリを植えて交流する活動を始めた。「たまには心の窓を開けて風を浴びんとね」。花を大切な人に見立てて話し掛けるよう勧めた。学校での講演で子どもたちに訴える。「生きているのは当たり前じゃない。皆さんの家族から加害者を出さないで」 コロナ禍に見舞われた今年、年間数十件あった講演はほぼゼロ。走り続けてきた遺族たちには久しぶりの休息となった一方で、「気が抜けた感じ」と活動の縮小を口にする仲間もいる。 今後「8・25」を知らない世代がハンドルを握るようになれば、また飲酒運転が増えるのでは-。「そしたら三弥子に『お父さん、何ばしよっと』って怒られるけん。できることはやらんと」 大庭さんら有志は今年も、糸島市内の花壇にヒマワリを植えた。酷暑にも負けず、300本が力強い花を咲かせた。 (横田理美)
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