日韓の政府間対立が続いています。日本の芸術祭では今年、慰安婦をモチーフにした作品展示に「反日だ」との批判も。戦争と植民地支配の歴史にどうアプローチすればいいのでしょう。作家・高橋源一郎さんが韓国を訪ねました。寄稿を掲載します。
戦後を代表する詩人、茨木のり子の代表作「自分の感受性くらい」に、こんな一節がある。
「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」
いい詩だと思う。そしてその後、胸に手をあてて考えたくなる。
その茨木のり子に「ハングルへの旅」という本がある。50歳になった茨木は突然、韓国語を学びはじめた。すると、周りのみんなが異口同音にこういったのだ。
「また、どうしたわけで?」
明治以降、目は西洋に向け、東洋は切り捨てる。こんな国家の方針に、人びとは何の疑いもなく従ってきた。だからこそ「また、どうしたわけで?」となるのだろう。そう嘆きながら、茨木は、自分が韓国語を学び始めた理由を、いくつもあげていき、最後にこういうのである。
「隣の国のことばですもの」
本の中に、強い印象を残すエピソードが一つ。同年代の韓国の女性詩人に会って、「日本語がお上手ですね」とその流暢(りゅうちょう)さに感嘆すると、彼女はこう返した。
「学生時代はずっと日本語教育されましたもの」
植民地時代、日本語教育を強いられた彼女は、戦後になって「改めてじぶんたちの母国語を学び直した世代」だったのだ。
自分の無知さに茨木は身をよじる。いちばん近い国なのに、ほんとうは何も知らない。知らないことさえ知らなかったのだ。
像の傍らで考えた
ソウル市内、日本大使館に向け…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル