光が弾のように飛び散った後、大きな火の玉が回転しながら落ちていった。
「真っ赤ではなく、虹色のようにいろんな色で、すごくきれいに見えた」。松丸正二さん(84)の脳裏に、77年前の夜の光景が鮮明に残っている。
太平洋戦争末期の1945年5月25日夜~26日未明ごろ。千葉県船穂(ふなほ)村(現印西市)の上空で、日本軍に迎撃された米軍のB29爆撃機が空中分解した。船穂村の武西(むざい)地区に住む松丸さんは、機体の一部が火を噴きながら回転するのを見た。当時6歳だった。
近くの六合(ろくごう)村(現印西市)では「米兵が近くにいるらしい」といううわさが飛び交った。撃墜されたB29から落下傘で脱出して生き残った乗組員が捕まり、村役場に連行された。
一高(現在の東京大学教養学部)の学生だった岡田裕之さん(93)=法政大名誉教授=は、村内の実家に帰省中だった。岡田さんは26日夜のことと記憶している。英会話ができたため、いとこに「通訳をしてほしい」と頼まれ、役場に行った。
狭い部屋に、鎌や包丁などを持った村人が集まり、「殴れ」「殺せ」「たたけ」と殺気立っていた。米兵が体を震わせていた。
77年前、千葉県内のある村に米軍のB29爆撃機が墜落しました。米軍による空襲が激化した戦争末期だった当時、B29は日本人にとって憎悪と恐怖の対象でした。B29が落ちた村でその時、何があったのか。関係者の証言と資料からたどりました。
落下の風圧で吹き飛ばされた父は
B29が撃墜された夜。船穂…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル