長い間、社会の中で性暴力被害は恥じるものとされ、隠され、ないことにされてきた。それゆえに被害を訴えることは難しく、多くの当事者は沈黙を強いられてきた。それでも最近、名前や顔を出し、被害を訴える人が相次いでいる。誹謗(ひぼう)中傷や周囲の対応でさらに傷つく可能性がありながら、声を上げる。当事者たちにその思いを聞いた。(編集委員・大久保真紀、島崎周)
「存在がないもののように扱われてきた」
「長年、存在がないもののように扱われて暴力を受けてきた私に対して、いまの私がたったひとつ、やってあげられることだと思った」
天台宗の寺の僧侶からの性暴力被害を訴える尼僧の叡敦(えいちょう)さんは、1月末に法名や顔を明らかにして記者会見した理由をそう語る。「私がここにいるよ、生きていますよということを伝えるため」とも言った。
叡敦さんは50代。約14年…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル