食材価格値上げの直撃を受けた学校給食について、今夏の参院選では多くの政党が無償化を公約に掲げた。給食費を保護者が負担する現在の制度は、戦後68年も続いてきたものだが、転換の時が近づいているのか。「給食の歴史」の著書がある京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授(45)=食の現代史=に話を聞いた。
――今春からの物価高を受け、給食のあり方が改めて議論になっています。
そもそも、ウクライナ危機に端を発した食料高騰で給食がピンチだから無償化に、という今の流れに私は納得がいかないでいます。
子どもの7人に1人が貧困状態にあると指摘されて久しく、子どもの貧困に詳しい研究者らは「国が取るべき貧困対策の本丸は給食だ」と言い続けてきました。しかし、昨秋の衆院選を含め、今回ほどの注目は集めなかったように思います。コロナ禍で全住民に定額給付金が配られ、最低所得を保障するベーシックインカムの議論も活発化するなか、給食無償化ももっと盛り上がってもよかったのに、です。
一方で、コロナ後も子ども食堂は増え続け、いまや全国で6千カ所を超え、児童館の数より多くなっています。子どもや保護者の悲鳴の表れでしょう。
給食を無償化し、その内容を充実させ、実施率が低い県がある中学校給食を全国に拡大させることは、喫緊の課題です。
根本に、貧困を隠す制度設計
――貧困対策としての給食には、長い歴史があるようですね。
日本の給食は1889(明治22)年、貧困児童を集めた山形県鶴岡町(当時)の私立小学校が発祥とされています。1919(大正8)年には自治体として初めて東京府がパンによる給食を始め、32(昭和7)年には文部省訓令により、国庫補助による給食が始まりました。
当時、東京府や国に給食の必要性を訴えたのが「栄養学の父」と呼ばれる佐伯(さいき)矩(ただす)です。特に、給食を受ける子に惨めさを感じさせないため全員で食べようと提唱したことは重要です。スティグマ(烙印(らくいん))を与えない工夫、つまり貧困を隠す制度設計は、給食の根本にあるのです。
始まりは与野党の妥協
――では、食材費の保護者負担はどのように決まったのでしょうか。
今の給食制度は、54年に成立した学校給食法に基づいています。調理施設費や人件費は税金でまかなう一方、食材費は保護者が負担すると定めました。これは、政治的には妥協の産物でした。
全額国庫負担で給食を義務づ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル