「逃げろや逃げろ、どこまでも」――批評家・浅田彰さんの1984年の著書「逃走論」は、老若男女に逃走を呼びかける不思議な思想エッセー集として大ヒットした。あれから約40年。人々の逃走は成功したのだろうか。そして、逃げるという戦略は今も必要なのか。管理社会化やコロナ禍で「逃げ場のない感じ」も漂う今、浅田さんにじっくり聞いてみた。
浅田彰(あさだ・あきら)
1957年生まれ。京都芸術大学教授。83年「構造と力」刊行。「逃げろ」と訴える「逃走論」が翌年話題に。
――「逃走論」の刊行は80年代でしたね。思想書としては異例のベストセラーになった「構造と力」を発表した翌年の著作でした。なぜ、逃走を呼びかけたのですか。
「70年代の思想課題をどうすれば清算できるか、を意識していました。具体的にはそれは全共闘世代の問題です。70年代は初めに連合赤軍事件が起きて、その後の左翼的な運動や思想は袋小路に入っていました。どうすれば革新的な思想をポジティブな方向に展開できるのか、を考えようとしたのです」
「連合赤軍の関係者は、革命を目指しながらも仲間内での悲惨な殺し合いに陥っていきました。そこには気になる傾向があった。自らの逃げ道をあえて断つことで、『革命家としての自分のアイデンティティー』を確固たるものにしようとしていたのです」
――逃げ道を断つとは?
「『革命家をやめて就職することも選択肢に残しておこう』と考える学生はダメなやつとされ、逃げずに『革命家としてのアイデンティティー』を純化させることが大事にされたのです。しかし僕には、それは戦略的に間違っていると思えました。陣地を捨てて逃げた方がいいのに、と」
「異なる人々と接触し、それ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル