終戦直後の千葉市内の様子を紹介するときに必ず使われる写真がある。「闇市に立つ少年」と呼ばれる写真だ。この少年を「私です」という男性が同市稲毛区に健在でいる。どのような経緯で撮影されたのか。戦後の混乱、復興をどう経験してきたのだろうか。
写真の少年を自分だと証言するのは稲毛区の石井進さん(91)。写真を管理する千葉市によると、撮影記録はなく詳細は不明だが、場所は現在の千葉銀座通り(中央区)にあった闇市、1946年秋ごろに撮られたとみられる。
50年前に市が作成した書籍に掲載され、その後も終戦直後の市内の様子を伝える際に繰り返し引用された。写真の存在は書籍を見た知人からの連絡で知ったという。「一目で自分だと分かり驚いた」が、数年前まで名乗り出ることはしなかった。
通っていた県立千葉工業学校から県庁そばの魚屋に間借りしていた自宅に帰宅中に撮られたという。制服を買う余裕はなく、着ているのは払い下げの軍服。終戦時のポツダム宣言にちなみ「ポツダム服」と呼ばれていた。手元にある同級生との写真でも、周囲が詰め襟姿の中、1人この服だ。
写真の焦点は背景の闇市に合わされているため、少年の表情は不鮮明だが、全身から厳しい雰囲気が漂う。このころ石井さんはまだ戦後の混乱の中にいた。生活を一転させたのは、1945年7月7日の米軍による千葉空襲だ。
空襲時、現在の京成千葉中央駅西側にあった自宅にいた。未明の警報で庭に飛び出し、両親に「こっちに来ないか」と声を掛けた瞬間、近くに焼夷(しょうい)弾が落ちた。周囲は火に包まれ、海辺の神社まで1人で逃げた。深夜から雨になり、海を眺めて過ごした。
夜が明けて街に戻ると、焼け…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル