広島は6日、被爆78年の「原爆の日」を迎えました。原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて開かれた平和記念式典には、原爆で亡くなった人たちの遺族や、地元選出の岸田文雄首相らが参列しました。ロシアによるウクライナ侵攻で核兵器の脅威が高まっている上、5月の主要7カ国(G7)広島サミットで「核抑止」の維持が正当化される中、被爆者らは「核兵器なき世界」の実現をこれまで以上に強く求めています。5日から6日にかけての出来事を速報しています。
■■■8月6日(日本時間)■■■
15:50
広島市まんが図書館、戦争を題材にした作品を展示
広島市まんが図書館(同市南区)では、戦争などを題材にした漫画を特集する展示会が開かれている。中沢啓治さんが自身の被爆体験をもとにして描いた「はだしのゲン」、呉などが舞台の「この世界の片隅に」など、広島ゆかりの作品もそろえる。
館長の高森正治(しょうじ)さん(62)は広島県江田島市出身。12歳の時に「はだしのゲン」を読み、「これが本当に広島の話なのか」と原爆の悲惨さに衝撃を受けた。原爆投下から78年が経っても、「はだしのゲン」はよく貸し出されており、来館する外国人の観光客が翻訳版を読む姿も目立つという。
高森さんは「漫画は歴史を伝えるツール。この展示を、戦争に巻きこまれた市民について考えるきっかけにして欲しい」と話す。展示は8月31日まで。
15:30
各国首脳が植えた被爆桜に思いをはせるデンマーク人
「78年前の戦争の記憶が、こんな風に残っているなんて」。デンマークから旅行で訪れていたアダム・セナンさん(20)は、5月に開かれたG7広島サミットで、各国首脳が平和記念公園に植樹した被爆桜の前で足を止めた。サミット後に設置された説明板を見て「惨禍を忘れないためにも植樹は意義あるプログラムだったのでは」と話す。
広島市役所の敷地内で花を咲かせる被爆桜(ソメイヨシノ)から「接ぎ木」をして植樹された。被爆桜は、原爆投下時に多くの被爆者が木の下に体を横たえたと伝わる。
姉のアイラさん(26)は「戦争の関係国のリーダーたちが集まって、広島で植樹をしたことに価値がある。平和を象徴しているようですね」と話した。「きょう広島に来られて、特別な1日になりました」
15:00
「長崎の証言の会」編集長が講演 「『被爆地に来て』と言うだけでよいのか」
世界の核被害を学ぶ講演会が、広島市中区の広島弁護士会館で開かれた。長崎出身で、被爆証言の雑誌を発行する「長崎の証言の会」編集長の山口響さん(47)らが講師として登壇した。
山口さんは、核保有国を含む主要7カ国(G7)の首脳がそろって広島を訪れた5月のG7広島サミットを振り返り、「(世界の政治指導者に対して)観光誘致のように『被爆地に来てください』と言うだけでよいのか」と日本側の姿勢を批判。「今回やって来た首脳に対し、『この後どうするんですか』と私たちが迫っていかなければならない」と訴えた。
講演会は、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が主催し、約60人が参加した。
14:30
被爆者の女性が名古屋で自らの体験を語る
爆心地から1・2キロの広島市水主(かこ)町(現・同市中区)で被爆した水野秋恵さん(82)=愛知県春日井市=は、「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」(名古屋市中区)で自らの体験を語った。4歳のとき、近所の家へお菓子をもらいに行ったときに被爆。がれきの下敷きになり、顔や腕にはガラスが刺さった。
これまでにインドや米国、愛知県内の学校などで体験を語ってきた。いまなお、世界で戦争が続いていることに対し、「理想論かもしれないが、人間は話し合う知恵がある。戦争は武器じゃなく話し合いで解決するためにそれぞれの立場で努力すべきだと思う」と語った。
14:00
サーロー節子さん、首相批判 「意志と勇気が欠けている」
核兵器の非人道性を訴えて核兵器禁止条約の採択に尽力したカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(91)が、広島市で開かれた「原水爆禁止2023年世界大会」に出席し、岸田文雄首相が「厳しい現実」を理由に、核抑止力を容認し、同条約を批准しようとしない姿勢を批判した。
サーローさんは「岸田さん(首相)は『安全保障環境が厳しいから、核に頼るのは仕方がない』と言っています。けれども実際に核を持っているのは、193の国連加盟国のうちわずか9カ国です。120、130もの国々が惰性から抜け出して、世界に非核化地帯をつくり、核兵器禁止条約をつくりだしている」と指摘。「本当に欠けているのは安全保障環境ではなく、問題を解決する意志、行動に乗り出す勇気だと思えてならない」と訴えた。
13:30
78年前、原爆で亡くなった乳飲み子へ 千羽鶴捧げる女性
丸まった背中で大きなポリ袋を両手に下げ、「原爆の子の像」の前で立ち止まる女性がいた。豊田和子さん(78)。千羽鶴を捧げるため、神戸市東灘区から高速バスに4時間揺られて来たという。
広島に原爆が落とされる3日前に、母の疎開先である鳥取県で生まれた。「78年前、自分と同じような乳飲み子がたくさん原爆で命を奪われた。今も生かされている感謝と、安らかに眠れるようにという思いで折りました」
千羽鶴は近所の人や友人ら約100人に手伝ってもらっている。今年で5年目。胃がんや乳がんなど患っているが、身体が動くうちは通い続けるつもりだ。
13:00
陸軍病院の原爆慰霊碑を世話する男性
爆心地から約1キロ北の旧太田川(本川)の堤防に慰霊碑があった。「広島陸軍病院原爆慰霊碑」。あの日、近くにあった広島第一陸軍病院と第二陸軍病院では軍医や看護師ら約740人がほぼ即死した。広島市に住む岡崎洋司さん(79)が慰霊碑の前で、遺族や地域住民の訪問を待っていた。
当時1歳だった岡崎さんは、母と疎開して難を逃れた。衛生兵だった父も台湾にいて被爆はしていない。それでも原爆のむごさに身が震える。
1955年の慰霊碑建立に際しては、この病院で衛生兵の訓練を受けた父も尽力した。父が20年ほど前に亡くなってからは世話人を引き継ぎ、8月6日は朝からこの場所にいるという。
12:30
原爆の絵、描いた高校生「ただの遺骨の絵だと思わないで」
被爆者の証言をもとに広島市立基町高校美術部の生徒が描いた「原爆の絵」の展示が、平和記念公園内の国際会議場で始まった。「原爆の絵」は被爆証言の助けになるよう、平和記念資料館と基町高校が2007年度から協力して取り組んでいる。この日は、描いた生徒が作品に込めた思いなどを語るギャラリートークがあった。
同校2年の持田杏樹さん(17)は、被爆者の広中正樹さんから10回近く体験を聞いた。原爆に遭って亡くなり、火葬された父の遺骨を拾う場面を描いた。「ただの遺骨の絵だと思わず、自分の家族や大切な誰かが原爆で亡くなったらと、自分ごととして考えてほしい」と話した。絵画作品約50点が24日まで展示されている。
11:45
首相、原爆養護ホームを慰問「悲惨な体験、次の世代に」
岸田文雄首相は、広島市安佐北区の広島原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」を訪れ、入所している被爆者のお年寄りたちを慰問した。
同日午前の平和記念式典に参列した後、林芳正外相、加藤勝信厚生労働相とともに同園を訪問した。同園に入所する34人の被爆者の前で、岸田首相が「平和記念式典に参列し、78年前の悲惨な体験を次の世代に伝えていかなければならないと強く感じました」とあいさつ。「政府はみなさんの応援、支援をさせていただきます」とも話した。
11:02
長崎でも平和祈る鐘 核不使用「世界に届けましょう」
もう一つの被爆地・長崎でも、被爆者らが広島の原爆犠牲者を悼んだ。長崎市の平和公園に集まった被爆者ら約20人は米軍が長崎に原爆を投下した午前11時2分から10分ごとに3回、「長崎の鐘」を鳴らし、平和を祈った。
鐘を鳴らす市民団体の代表で、長崎の被爆者・朝長万左男さん(80)は「ウクライナ侵攻が長引き、核兵器使用の危機が高まっている」と指摘。集まった人たちに「『核兵器を使わせない』という世論を高めるためにも、平和の鐘を一生懸命鳴らして、世界に届けましょう」と呼びかけた。
11:00
「旧陸軍被服支廠」の保存、首相が支援の姿勢 最大級の被爆建物
最大級の被爆建物である「旧…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル