ブルキナファソと聞いて、どこにあるか思い浮かびますか? アフリカ最大級の綿花生産国で、日本にも輸入されています。エミール・イルブードさんは来日して30年近くになります。「食」を通して、母国ブルキナファソの良さを知ってもらいたい、とキッチンカーで笑顔を届けています。母国の文化や食について伺いました。
料理人歴は長いですが、キッチンカーを始めたのは10年近く前です。東京・品川駅周辺や川崎市などで営業しています。母国や西アフリカを料理を通して紹介できますし、色々な人に会えて、色々な場所に行けるこの仕事が好き。店の名前「FOFO」は西アフリカの言葉で「歓迎」という意味なんです。
西アフリカでは、トウモロコシや雑穀の粉を水で溶いて固めたサグボやコメと、シチューを合わせたメニューは一般的です。
トマトや甘くないピーナツソースを使ったシチューもよく食べますが、私の母国ブルキナファソではオクラのシチューも代表的なメニューです。毎日のように昼や夜に家族で食べていました。オクラシチューとサグボの組み合わせを、現地のモシ語ではサグボ・ネ・マーデといいます。
たっぷりのオクラをコンソメなどで煮込みます。オクラをミキサーなどでつぶさず薄い輪切りにして使うのが、オクラの味を生かしたおいしさのコツです。
オクラは家の畑で育てます。肉は牛、羊、豚、鶏なども使いますが、人が集まるときでなければ貴重な牛は殺しません。内陸国なので魚も手に入りにくい。キッチンカーでは、肉や魚とともに煮込んでいますが、故郷ではオクラだけのシチューも珍しくありません。
今回、一緒に用意したムイ・コロゴ(スンバラライス)もよく食べます。アフリカの納豆とも言われる発酵させた豆「スンバラ」の酸味がさわやか。トマトペーストとともにコメを炊き込むもので、肉や野菜とよく合います。
パンダ豆に似た豆とごはんを一緒に炊いたムイ・ネ・ベンガ(豆ごはん)は、ほっくりした塩味の豆が素朴な「母の味」。私が小さいころ、お母さんが出かけるときによく作り置きをしてくれました。兄弟と鍋に手を突っ込んでむしゃむしゃ食べていました。炒めた野菜や肉を添え、唐辛子みそをつけてもおいしいです。
日本では珍しいバオバブの実で作ったジュースも、グアバと似て甘酸っぱくておいしい。ハイビスカスジュースもよく飲みます。
ブルキナファソは1960年に独立を宣言し、84年には現地の言葉で「高潔な人々の国」を意味する国名になりました。私が育ったのは首都ワガドゥグから25キロほどの郊外。日本に来る前は、隣国コートジボワールのホテルなどで働いた後、同国政府主催の食事会を担当する料理チームの班長なども務めました。
最初から料理人を目指していたわけではありませんでしたが、母の強いすすめと、幼い頃の旅行で見たシェフへのあこがれで料理の道に入りました。
私の祖父は、建築の世界で成功し、フランスにもビルを建てました。父も軍の要職についていたので、経済的にはブルキナファソのなかでは恵まれていたと思います。
その祖父がよく言っていた言葉があります。
「努力して人に尽くしなさい」「自分だけでなく、みんなが幸せになることが大事」
ブルキナファソは内陸国なの…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル