「お母さん、汐凪(ゆうな)。帰ってきたよ」
福島県大熊町。木村舞雪(まゆ)さん(19)は6日、小高い丘の上にある小さな慰霊碑の前で手を合わせた。
「私、大人になるんだよ」。心の中で呼びかけた。
周りにはたくさんの花やジュース。津波で亡くなった家族のため、父の紀夫(のりお)さん(55)がつくった碑だ。
東京電力福島第一原発から約4キロ。あたりは放射線量が高い帰還困難区域で、いまだ人は住めない。
「汐凪とは、おもちゃを取り合ってよくケンカしたなあ」。舞雪さんが、白い息を吐いた。
おそろいのマフラーと小さな骨
2011年3月11日。舞雪さんは近くの熊町小学校に通う4年生だった。
津波で海沿いの自宅が流された。母の深雪(みゆき)さん(当時37)と小学1年だった妹の汐凪さん(同7)、祖父の王太朗(わたろう)さん(同77)が行方不明になった。発生した原発事故で、舞雪さんと父は町から避難を強いられた。
翌月、母と祖父の遺体が見つかった。でも、妹だけが見つからない。
舞雪さんたちは、約300キロ離れた長野県白馬村に避難。父は汐凪さんを捜すため、毎週のように舞雪さんを車の助手席に乗せて、大熊町に通い続けた。
16年12月。自宅近くのがれきの中から、マフラーとともに首とあごの小さな骨が見つかった。
「このマフラー、覚えているか」
「うん、私とおそろいのマフラーだ」
DNA鑑定で妹の遺骨だとわかった。それを聞いた舞雪さんは黙ってうなずいた。
離れて暮らす父は今も
娘と父はいま、離れて暮らしている。
舞雪さんは長野県の高校を卒業後、調理師でお菓子作りが趣味だった母を追うように、東京の製菓の専門学校に進学した。4月からは東京・銀座のカフェで働く。
父は、大熊町から約25キロ離れた福島県いわき市に住む。愛犬と一緒に今も汐凪さんの残る遺骨を捜している。
舞雪さんは年末、父がいるいわき市に戻って、市内で10日に開かれる大熊町の成人式に出るはずだった。しかし、式はコロナ禍で延期に。娘と父は6日、家族と一緒に成人を祝おうと、大熊町の自宅跡を訪れた。「ずいぶんと変わったね」。帰途、車窓を眺める舞雪さんが言った。
あたりは除染で出た土を運び込む中間貯蔵施設になっている。かつて遊んだ野山には汚染土を入れた黒い袋が積み上がり、運搬のダンプが行き交う。
ぎこちない会話 記者が尋ねると
舞雪さんは2月に20歳になる。成人式の着物に似合うようにと、後ろ髪の一部を金色に染めた。都会で一人暮らしを始めて2年近くになる。父との会話はどこかぎこちなくなった。
2人の車に同乗させてもらった記者が代わりに尋ねた。「東京、楽しい?」
舞雪さんが答えた。「うん、楽しい」
「将来はどうするの?」
「いつかは福島に帰ってきたい、かな」
ハンドルを握っていた紀夫さんが、口を挟んだ。「え、どうして?」
「だって……、私、海が好きだから」
「海? そんなこと、昔言ってたか?」
そう聞かれた舞雪さんは後部座席でにこっと笑うだけだった。
妹は「汐凪」。海が好きな父がつけた名前だ。
「私は福島の海が好き。だからいつかここに戻ってきたい。でも、それまでは東京で頑張ろうと思う」
舞雪さんは揺れる思いを父に伝えた。(三浦英之)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル