校舎の屋根まで押し寄せたがれき。子の名を呼ぶ親の声が聞こえる。
宮城県石巻市の大川小学校。海から約3・7キロ離れているのに、あたりはがれきで埋め尽くされ、一面灰色に見えた。長靴にジャンパーを羽織った狩野あけみさん(52)は言葉を失った。東日本大震災の5日後、校舎にたどり着いた。
《大川小では震災の津波で児童ら計84人が犠牲・行方不明になった。裏山に行かず、校庭に約50分とどまっている間に津波がそばの北上川をさかのぼった》
あけみさんは家族で唯一、安否がわからなかった三女の愛さん(当時12)を捜していた。最後に見たのは2011年3月11日の朝、自転車で登校していった背中。あと1週間で卒業式だった。愛さんが好きなココアや卵焼きを毎朝校門の前に置き、祈った。
2週間たった。もうだめなのかもしれない。校舎の近くに並べられたランドセルを見ていた時だった。
「すみません」。長いコート姿の見知らぬ女性に声をかけられた。どこかのメディアの記者だった。
「地震が来た時は車で20分ほどの職場にいて、まさかこんなことになっているとは思わなかった。学校にいた三女を捜している」
そんな話をすると、女性は首をかしげ、不思議そうにこう言った。
「え、なんで迎えに行かなかったんですか?」
あけみさんは顔をそむけ、何も…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル