長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)で戦時中を過ごした元島民らで作る「真実の歴史を追求する端島島民の会」(端島の会)が、朝鮮半島出身者との暮らしを証言した動画を制作し、一般財団法人「産業遺産国民会議」のウェブサイト「軍艦島の真実-朝鮮人徴用工の検証」で公開している。元島民たちは「差別や虐待なんかなかった」と口をそろえ、貧しいながらも双方が協力して暮らしていた実態が浮かぶ。
「『チンガチンチンナーレ』ちゅうてね」「そう、『チョッター、チョッター』ちゅうてね」
収録されている元島民たちの座談会では、朝鮮半島出身者が島のお祭りで色鮮やかな民族衣装「チマチョゴリ」を着て、かけ声とともに輪になり踊っていた思い出を語り合う場面がある。
韓国側は、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録する過程で、「戦時中に強制徴用された労働者がいた」と主張し、登録に反対した。国連関係者へのロビー活動では「日本人に比べ危険な現場での作業を強いられた」と主張したという。
ただ、座談会で加地英夫さん(87)は、「強制連行というのに、どうしてあんなもの(=チマチョゴリ)を持ってきたのだろう。(日本人が朝鮮半島から)仕事中に引っ張ってきたとか、畑から駆り出してきたとか言っているのに。楽しそうに踊っていた」と振り返った。加地さんは、朝鮮人労働者の自宅でどぶろくを同級生が飲み、その家の父親から怒られたエピソードも明かす。
坑内作業への言及もある。ある元朝鮮人労働者は日本の新聞などで「常にふんどし姿でつるはしを振っていた」などと主張するが、端島炭坑で測量作業に従事した井上秀士さん(故人)は「坑内で裸の作業はできない。危ないから。石炭の粉炭が落ちてきたら(身体が)切れるとですよ」と反論した。
ウェブには、2016年に韓国で出版された児童絵本「恥ずかしい世界文化遺産軍艦島」と実態との違いを、元島民らが検証する動画もある。少年が鉄格子のおりに閉じ込められた絵本の描写について、元島民らは「ないよ、そんなもの」と口々に否定する。日本兵が朝鮮人の少年をむちでたたくシーンも、松本栄さんは(91)は「そういうことを冷酷に指示し、実行させた人間は端島に1人としていなかった」と語気を強めた。
在日韓国人2世の鈴木文雄さん(故人)も証言し、「戦時中に端島でひどい目にあったという話など全然聞いていない。朝鮮人ということで、指を指され、陰口をたたかれることは、近所づきあいではなかった」と語る。
端島炭坑は昭和49年に閉山し、島は無人島になった。全国に散らばる元島民らの証言は、産業遺産国民会議の加藤康子専務理事が集めた。加藤氏は、端島炭坑を含む「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の推薦書原案を執筆している。
きっかけは、韓国が世界遺産の登録過程で、韓国が端島炭坑をナチス・ドイツによるアウシュビッツ収容所と同一視する訴えを繰り広げたことだ。違和感を覚えた加藤氏は、人伝いに元島民を紹介してもらい、ビデオカメラを手に広島や岡山、宮崎、茨城、京都など、元島民のもとを訪ねた。
証言の収集は簡単ではなかった。戦時中の端島炭坑をめぐる新聞記事や書籍は、朝鮮半島出身者が虐待されたという論調がほとんどだったからだ。異なる発言をすれば韓国側や日本の市民団体から嫌がらせを受けるかもしれない-。せっかく本人のインタビューを収録しても、家族が公開を断ったこともあった。
故郷の名誉を回復したいと考えたのか。元島民は端島に関連する書籍や講演録を読み込み、自らの体験との違いを連絡するようになったという。元島民側からは「デマの拡散には組織で戦うべきだ」との意見も出て、平成29年1月には「端島の会」が設立された。
会の発足から3年近くが過ぎ、高齢のために亡くなった人もいる。加藤氏は「元島民たちは次の世代に真実を残さないといけないと義憤に駆られている。戦時中の端島は果たして『地獄島』だったのか。彼らの証言を聞いた人が判断してくれたらいい」と語る。(政治部 奥原慎平)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース