「リトル沖縄」と呼ばれる大阪市大正区。戦前から沖縄出身者が多く暮らし、住民の4人に1人が沖縄にルーツをもつとされる。今や沖縄移民も3世が中心となり、「沖縄らしさ」は薄れつつある。それでも次世代に思いや文化を継承しようと模索する、大正区のウチナーンチュ(沖縄人)らを取材した。
黄色が鮮やかな着物を身にまとい、三線の音色に合わせ、糸を巻き取るようなしぐさでゆったりと舞う。
沖縄からの移民3世である川端英子さん(47)は毎週水曜、大正区平尾にある琉球舞踊の教室に通う。
大正区で生まれ育ち、10年ほど前から本格的に習い始めた。いま稽古する古典舞踊「綛掛(かせかけ)」は、沖縄の女性が糸を紡いで、着物に仕立てるまでを表現した舞だ。
「子どもの頃から自然と舞踊に触れてきて、『沖縄』の感覚がリズムのように体や頭の中に残っているんです」
教室で約20人を指導する師範の上間照美さん(74)は親が沖縄生まれの移民2世。琉球箏(こと)を弾いていた母親の影響で、20歳のころに舞踊を始めた。「琉球舞踊は沖縄の古典文化の象徴。日本文化でいえば、能のようなものです」
上間さんは2016年、地域に残る琉球舞踊の他流派の師範らとともに「大正琉球舞踊協会」を立ち上げた。今は副会長を務め、「踊りや文化という形で、大正に『沖縄』を残したい」と話す。
家の門柱に置かれたシーサー、商店街で流れる沖縄歌謡、「沖縄そば」と大書した店先の看板……。大正区では街のあちこちで沖縄由来の風景と出会う。
区役所そばにある4階建ての建物は大阪沖縄会館。玄関脇では沖縄料理店が営業し、琉球箏や民謡の稽古場にも使われる。「大阪沖縄県人会連合会」の事務所もある。
事務局の中村和文さん(60)によると、傘下である大正沖縄県人会の会員は現在約400人。10年ほど前は約700人いたが、1世の高齢化に伴って減っているという。「2世以降が会員になるかどうかは、家ごとの判断になる。ウチナーンチュを名乗り続ける人は半数くらいちゃうかな」
元私立高教員の金城宗和さん…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル