キャリア官僚からファッション雑誌の編集者を経て法曹の道へ。そんな経歴を持つ海老澤美幸さん(45)は、ファッション業界の法律相談を専門にする弁護士だ。どのような思いを抱いて、異色の道のりを歩んできたのだろうか。
慶応女子高校時代からファッションが好きだった。両親に「ファッションの専門学校に進みたい」と打ち明けたが、「まずは大学に行きなさい」と諭され慶大法学部へ。大学3年のときにセレクトショップでアルバイトを始めると夢中になり「周囲に比べて就職活動で出遅れた。残っているのは公務員試験ぐらいだった」と振り返る。
1998年に旧自治省に入省した理由は、父が転勤族で自身も各地を転々とした環境もあり、地方自治に興味があったこと。研修を終えると岐阜県庁に出向した。
しかし、かつて「アパレル王国」とも称された岐阜では、繊維問屋街がさびれていた。「私の好きなファッション業界は、これほど危機に直面しているのか」と感じて、周囲の反対を押し切り、公務員人生を約1年半で終えて宝島社のファッション誌編集者に転身した。
当時ファッション誌の売れ行きは好調で、仕事は忙しかった。「毎日が文化祭の前日のような日々だった。すごく楽しくて充実していた」という。
目の当たりにしたハラスメントと知財の問題
一方で、撮影現場などではセクハラやパワハラを何度も目撃した。「カメラマンやスタイリストによる、アシスタントに対する暴言や暴力……。あの時、見て見ぬふりをして声をあげられなかった自分を悔いています」
渡英して現地のスタイリング…
この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。
残り:872文字/全文:1550文字
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル