成田空港の搭乗手続きカウンターのそばで、札幌市の教師、鈴木雄太さん(34)はある人が来るのを待っていた。7月29日夜。東京五輪の試合を終え、早くも帰国の途につく外国人選手たちが出発ロビーに入ってくる。
「あ、あれだ」。背が伸びていた。ひげをたくわえ、体つきもがっしりしている。でも、愛らしい表情は前と変わらない。
向こうも気づいたようで、笑顔になって手を振って近づいてきた。
「久しぶりだね、元気だった?」「元気、元気! ユウタは元気だった?」
アラム・マハムードさん(24)。難民選手団の一人として五輪に参加し、この日、離日することになっていた。
出会いは2009年。鈴木さんは青年海外協力隊員としてシリアに赴任し、バドミントンクラブで指導した。そこにいた身長150センチほどの11歳の少年がマハムードさんだった。
「おはようって日本語でなんて言うの」。「トヨタの車って丈夫なんでしょ」。日本人が物珍しく、鈴木さんの姿を見つけては寄ってきた。バドミントンのプレーもまだ未熟。返球が甘く、ネットに引っかかったりアウトになったりして10点以上の差がついた。
10年には、シリア人5人のチームのコーチとして、千葉県成田市であった国際大会に参加した。家電量販店に入ったマハムード少年は品ぞろえに目を丸くし、ゲームコーナーに入り浸った。バスの中では道にゴミが落ちていないことに驚き、食事の時は納豆を食べて顔をしかめていた。
内戦激化 車内で告げた「また会おう」
だが11年春にシリア情勢は一変する。内戦が始まった。炎上する車。居並ぶ戦車。マハムードさんの知人のバドミントン選手は、兵士として戦場に行き、亡くなった。鈴木さんは、日本への帰国を余儀なくされた。マハムードさんは、父が運転する車で見送りに来てくれた。車内で10分ほど過ごし、「また会おう」と言って別れた。
14年にヨルダンの難民キャ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル