トランスジェンダー役はトランスジェンダー当事者俳優に――。近年、国際的にこうした動きが広がりつつある。日本でもトランスジェンダー役に当事者を公募し起用した短編映画「片袖の魚」が東京・新宿K’s cinemaで公開中だ。活躍の場が少なく、また劇的に描かれがちな現状に一石を投じたいという試みだ。バイセクシュアルを公表し、海外のLGBT映画祭にも詳しい東海林毅監督(46)と、トランスジェンダー女性でモデルとしても活動する主演のイシヅカユウさん(29)に聞いた。
当事者の役ですらチャンスがない
――トランスジェンダー当事者が演じることをめぐっては近年議論になっていますが、今回オーディションで当事者を公募した理由について教えてください
東海林 実は、まだ日本では議論すらないと思っているんです。ハリウッドとかでは実際にそういう流れになっている。
ある当事者の方と話をしていたら「日本でもトランスジェンダー役は当事者が演じるべきだ」とおっしゃるんです。でも僕も最初は、日本じゃまだ早いし、そもそもやってくれる人がいない、興行的に成立するかも分からないものを商業映画でやることは今の日本じゃ無理、と思っていた。
でも、なんで無理と思うんだろう、と。
結局、まだ誰もやらないから、いつまでたっても無理なんだということに気が付いて。だったら最初にやればいい、と思ったんです。
――なぜそうした取り組みが必要だと考えますか
東海林 雇用機会の不平等をなくすということがまずあります。今の日本においては、トランスジェンダー役ですら(生まれたときの性別に違和感のない)シスジェンダーが演じるのが通例になっていて、当事者の役ですらチャンスがない。そうなると、当然芸能プロダクションもトランスジェンダーは雇えない、という話になってしまう。
まずそこを変えるためには、少なくとも当事者の役は当事者が演じたほうがいい、ということですね。悪循環を断ち切るための一歩です。
もう一つは表象の問題です。僕はバイセクシュアルですが、思春期の頃には、当時はやった(男性同性愛者をからかうような、バラエティー番組の)キャラクター「保毛尾田保毛男」のイメージに傷つきました。テレビやメディアに出てくる性的マイノリティーの表象は、当事者にとってロールモデルになってしまうこともあるし、周りの人間、非当事者にとっては、こういうものなんだと認識してしまう恐ろしさがある。
非当事者を中心に作り上げた時、どうしても喜劇的か悲劇的かどちらかに寄ってしまうことが非常に多い。一般的な存在として描かれにくい側面があって、いつまでたっても社会において異質な存在としてしか描かれないままイメージが再生産されてしまう。
――イシヅカさんはなぜ応募しようと思ったのですか
イシヅカ 普段私はモデルの仕事をしているんですけど、知り合いがこういうオーディションがあるよと教えてくださって、その中身に共感したし、とにかく何か少しでもこの企画に関わりたいという考えでした。
今までトランスジェンダーのことについて取り上げてもらう機会自体がすごく少なくて、それも当事者性がある取り上げ方というより、エンターテインメントとして消費するような取り上げ方しか私は今まで見たことがなくて、嫌な気持ちもすごくありました。
無言のカミングアウト
――今回の映画では、自分に自信を持てないトランスジェンダー女性が周囲の反応に戸惑いながらも前を向き、新たな一歩を踏み出していく姿を描いています
東海林 社会の異物として描くのではなく、一緒に生活しているトランスジェンダーという人なんです、という見え方を必ず守りたかった。そのためには過剰な演出をまず控えることも大切ですし、なるべく街の中の存在として主人公の姿を描くというのがポイントでした。
イシヅカ 本当に日常で生きて行く中で、ちょっと足を踏み出そうという主人公の物語だったというところにすごく共感して、うれしかったです。
――主人公は、仕事先で性別に関係なく使える多目的トイレを勧められてひそひそ話をされたり、同窓会で特別扱いされたり。日常で感じる違和感のようなものも丁寧に描かれていると感じました
東海林 日本で日常において性的マイノリティーが受ける差別って、いきなり棒で殴られたり暴力を受けたりではなくて、むしろちっちゃいトゲみたいなもので常にチクチク刺される。小さいがゆえにこちらも強く言えない怖さがある。
そういうところが僕は日本の…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル