パラオ・アンガウル島から生還した元日本兵で海洋研究者の倉田洋二(くらた・ようじ)さんが23日、沖縄県宮古島市の自宅で老衰で死去した。92歳だった。葬儀は家族、近親者のみで執り行う。
14歳で単身パラオへ渡り、現地の水産講習所で学んだ後、水産試験場に勤務。1944年に召集され、陸軍二等兵としてアンガウル島の戦いに参加した。島では約1200人の守備隊の大半が戦死。倉田さんも左半身を負傷して動けなくなり、45年春、米兵に見つかった。
帰国後は東京都の水産試験場研究員となり、小笠原水産センター所長などを務めた。退職後の96年にパラオの中心都市、コロールに居を構え、戦友の慰霊や日本とパラオとの交流に尽力。2015年4月、上皇ご夫妻のパラオでの慰霊には、戦友の戦死者名簿を携えて立ち会った。
今年2月の上皇さまの即位30年を祝う宮中茶会に出席。上皇后美智子さまから戦死者名簿について「送ってくだされば必ず拝見します」と声をかけられ、その後上皇ご夫妻に名簿を届けた。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル