血縁や地縁がない異国で暮らす人々は、何を「よりどころ」にしているのでしょうか。フランスに移住した、作家でミュージシャンの辻仁成さん(63)にお話をうかがいました。シングルファーザーとしての子育てに、仕事に奮闘する中で、辻さんが支えにしていたものとは。
――フランスに渡って、まもなく20年になりますね。
人生の3分の1をこの国で暮らしてきました。今年5月に、目標の一つだった「オランピア劇場」でコンサートを実現します。世界的アーティストたちが演奏してきた歴史あるミュージックホールです。「いつかできたらいいな」と思っていたけど、まあ無理だろうなと最初は思っていたんです。フランス人でも、立つのは難しい場所ですから。
――なぜフランスだったのでしょうか。
40歳ぐらいまでは日本で音楽や文学、映画を作っていました。「自分の表現を世の中に合わせるのではなく、自分らしく届ける方法はないか」ということは、ずっと考えていました。
日本で、僕の表現をそのまま受け入れてくれる人が1千人はいた。ただ、世界には80億人が生きています。もしかしたら、アメリカにはもう1千人、ヨーロッパにも1千人、アフリカにも1千人……と、僕を受け入れてくれる人がいるかもしれない。
「世界に出る」という言葉がありますが、僕の場合、自分のままで受け入れてくれる人がいるのなら、自ら届けに行きたい、という感覚でした。
フランスを選んだのは、小さい頃から(シャンソン歌手の)ジャック・ブレルなど仏音楽の影響を受けていたこともきっかけです。
――血縁も地縁もない場所で、どうやって礎を築いたのでしょうか。
ECHOESやソロ活動という日本のメジャーレコード会社での契約が終わり、僕の音楽を一から作り直そうとしていました。
「放浪のミュージシャン」のように、40過ぎて、ギターを抱えてパリの路上で歌い始めました。カフェや小さなライブハウスでも演奏しました。
そこで知り合った人が、「面白いね」と人を紹介してくれて、だんだんと格の高い会場で演奏できるようになっていったんです。
バンド全員が移住者 「ZOO」が変わった
――辻さんの音楽はどう変わったのでしょうか。
パリで音楽スタジオがあるの…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル