現場へ! 記録を残す④
房総半島の南に位置する千葉県館山市。かつて海軍の基地が置かれ、軍都として発展したこのまちの交差点に、「飯塚薬局」として親しまれてきた半円形のレトロな3階建てビルがある。そこに、4年前から新たな布製の看板が掲げられた。
「永遠の図書室」
中に入ると、入り口以外はシャッターを閉めて太陽光を遮っていた理由がわかる。やわらかい光が照らすほの暗い室内には、本、本、本……。二・二六事件、石原莞爾、山本五十六、戦地・ガダルカナル、などジャンルごとに太平洋戦争にまつわる戦記物や小説、さらには軍歌集や水木しげるの漫画、雑誌や写真集がびっしりと並べられている。
集めたのは、戦後、ここで薬局を営み、暮らしていた元陸軍大尉の飯塚浩さん。2017年に93歳で亡くなった。3千冊に及ぶ蔵書のほか、士官学校時代の教科書や、47冊の手記も残した。手記は当時書かれたとみられるものや、戦後に振り返って原稿用紙に記したもの、さらにワープロでまとめ直したものもあり、文庫本300冊相当の文章量にあたるという。これらが、壁の一角を埋め尽くしている。
手書きの原稿用紙をとじたファイルをめくると、例えばジャワ島で終戦を迎えた後、捕虜収容所にいたころについての記述も詳細につづられている。
「知り度(た)い事は山程あるが、我々捕虜の耳には何のニュースも届かない」
「或(あ)る日、収容所長に呼ばれる」「旧式であるとは云(い)え、帝國軍艦に乗れるのは嬉(うれ)しい。唯、残念なのは、生(うま)れて始めての航海が、敗戦后(ご)であると云う事だ」
ワープロで「清書」されたファイルの中には、とりわけ大きな文字で「この戦記を南支作戦をはじめフイリッピン、ジヤワ チモールその他の戦線で散華した勇士と従軍した戦友のすべてにささげる」と記したページもとじ込まれていた。
移住先で新たな生き方を模索していた元IT会社員、アニメの「推し」がきっかけで二・二六事件に関心を持った20代……。ある陸軍大尉の書き残した資料が人の心を動かし、いまもレトロなビルの一角で引き継がれています。
「とても捨てられない」
「飯塚さんの集めた書籍だけ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル