大阪・ミナミの繁華街で活動する、外国にルーツをもつ子どもの支援団体「Minamiこども教室」が今秋、設立から10年を迎えた。記者は設立の半年後から、ここでボランティアをしながら取材を続けてきた。それをまとめた書籍『移民の子どもの隣に座る――大阪・ミナミの「教室」から』(朝日新聞出版)を10月に出版するのを機に、言語や制度の壁に悩む移民家庭を支えるため、役割の幅を広げてきた教室の歩みをたどる。(玉置太郎)
教室は火曜の夜、大阪市中央区の子ども・子育てプラザと自治会館を借りて開く。会場がある島之内地区は、市によると住民約6千人の3割強が外国籍。多くの人が、西側に広がる心斎橋や難波の繁華街で働く。記者も4年前から島之内に住んでいるが、自宅を一歩出ると多様な言語が聞こえてくる。
住民の3割が外国籍の街で
教室に集まるのは小学生から高校生までの30人ほど。フィリピンと中国出身の家庭の子が多く、他にもタイ、ブラジル、ルーマニア……と続く。
地域住民や元教師、大学生らのボランティアが、学校の宿題や日本語学習をみる。大学1年のコウリンさん(18)は、今春からボランティアに参加。自身も小学5年で中国から来日し、ずっと教室に通ってきた。「勉強のわからないところはじっくり教えてもらえるし、自由な雰囲気が楽しかった」とふり返る。
いま支援者として、中国から来日まもない小学生の隣に座り、母語も交えて宿題を教える。帰り道では低学年の子の手を引いて自宅まで送る。「私にとっては何か悩みがあったら、すっと相談できる場所。大学生って忙しいけど、できるだけ来たいなって思う」
教室ができたのは2013年9月。その前年に島之内で起きた「事件」がきっかけだった。29歳だったフィリピン出身のシングルマザーが子ども2人と無理心中を図り、6歳の長男が亡くなった。市によると、母親は夜間の飲食店での仕事と、子育ての両立に悩んでいたという。
長男が入学したばかりだった地元の市立南小学校は、児童の半数ほどが外国にルーツをもち、経済的に苦しい一人親家庭も多い。当時の校長、山崎一人(かずと)さん(68)が大阪で外国人支援をしていたメンバーに声をかけ、教室を立ち上げた。
コロナ禍を機に広がった役割
学習支援から始まった活動は、調理実習や遠足、運動会といった体験イベント、学校や地域との連携へと役割を広げていった。
コロナ禍では、飲食店の営業自粛で多くの家庭が仕事を失うなか、多言語での生活相談や、地元の子ども食堂と合同での食料配布に取り組んだ。母親の孤立を防ぐため、大人向けの日本語教室も開いている。
実行委員長を務める原めぐみさん(36)は「この10年、設立メンバー個々人の力で乗り切る局面が多かった。それを人が代わっても継続できるよう、体系的な事業に整える段階にきています」と話す。自身も大学院生だった10年前から活動を続け、世代交代の中心を担う。「子ども一人ひとりと丁寧に向き合うこと。それを何より大切にして、この居場所を存続させていきたい」
ボランティア兼取材で10年、一冊の本に
記者は2014年からMinamiこども教室でボランティアをしながら取材を続け、19年には島之内に引っ越しました。この間の取材をまとめた本『移民の子どもの隣に座る――大阪・ミナミの「教室」から』(税込み1870円)が、10月20日に朝日新聞出版から発売されます。教室につながる子ども、親、スタッフ、学校、地域の姿を通して、「共生」について考えました。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル