3年生12人がやっと顔をあわせられたのが、卒業の日だった。能登半島地震で被災した石川県輪島市の県立門前高校で、卒業式が開かれた。進学のため輪島を離れてゆく12人。答辞で述べたそれぞれの言葉には家族、故郷、そして、仲間への思いがあふれた。
3月1日午前、体育館に並んだ3年生は一人ずつマイクの前に立った。
中角(なかかど)春香さん(17)は、話し始めてすぐ、右手で目頭を押さえた。
「地震が起きた直後……。私の頭に浮かんできたことは……。学年のみんなや、1、2年生、先生方の安否でした」
中角さんは1月1日、自宅団地で被災した。スマホは通じず、友人の安否がわからない不安な日が、続いた。蛇口から水は出ず、今もなお、地元中学校の体育館で避難生活を続けている。
1月下旬に3週間遅れの始業式があり、少しずつ授業も再開。でも遠方に避難して学校に来られない同級生もいた。無事を確認できても12人はなかなかそろわなかった。
「震災前のあの頃に戻りたい」
「高校生活最後の3学期、当たり前に来ると思っていた3学期、もしかなうのであれば、もう一度みんなと一緒に楽しく授業を受けたかった。震災前のあの頃に戻りたい。それが私の正直な気持ちです」
避難所から高校へ向かう途中にある、慣れ親しんだ地元商店街は家屋や店舗が倒壊し、様変わりした。気持ちは沈んだ。
輪島から約100キロ離れた短大へ進学する。夢である保育士になったら地元へ戻ろうと考えていたが、余震への恐怖感が残り、地元を離れたい、という思いも正直芽生えた。それでも涙の後に、答辞の結びで口にしたのは前を向く言葉だった。
「地震の怖さ、傷、生活の不便さ、まだまだこれからも大変な日々は続きます。けれども、きっとたくさんの楽しいこと、うれしいことも待っているはずです。私を含め、みんなの人生はこれからも続いていきます。希望を持って、みんなで復興に向けて一歩一歩前に進んでいきましょう」
過疎化と少子高齢化が進む地域にある門前高。今年度の全校生徒は85人で、3年生は特に少なかったが、その分仲が良く、中沢賢校長は、「先生や地域の方と一緒に家族のように過ごしてきた」とふりかえる。
地震後の大学受験、誕生日に避難
商店街の人も卒業式を見守るなか、大岩紅葉さん(18)は、ふるさとへの思いを口にした。
「私の門前を愛する気持ちは変わらず、これからも帰ってくる場所でありたいと思っています」
地震が起きたのは、大学受験まで2週間を切った頃。障害がある子どもの支援に関わりたいと、受験勉強をしていた。
市内は混乱が続いていた。母…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル