自死した父に伝えたい
おやじにもう一度会えるなら、農業継いだこと、これっぽちも後悔してねぇよ、って伝えたいな──。
福島県須賀川市の水稲・野菜農家、樽川和也さん(44)は地域で一番の若手ながら、直売所では名指しで注文が入るほど、信頼を得る農家になった。だが、その姿を一番近くで見てほしい父はもういない。東京電力福島第1原子力発電所事故を受け、自ら命を絶った。あれから9年。除染作業、賠償請求……。父の死を受け入れ、農業を続ける道のりは決して容易ではなかった。
和也さんは稲作4・5ヘクタールを営む他、10アールのハウス(6棟)をフル回転させる。キュウリ、ブロッコリー、トウモロコシなど年に10品目を超す野菜を栽培し、地元のJA夢みなみの直売所に出荷する。
父が求め続けた有機質肥料を引き継ぎ、野菜は甘さにこだわる。
「おやじは農業に人生を懸けていた。堆肥作りに取り組むおやじの背中が忘れられない」
父の久志さん(享年64)が亡くなったのは、震災発生から2週間後の2011年3月23日、自宅に届いた1通のファクスが原因だった。原発事故による県産野菜の出荷停止の知らせだった。父はファクスに目を走らせると、額に手を当て、目を閉じた。和也さんが風呂から上がっても、同じ姿勢で背中を丸めたままだった。「農家を継いでくれって、余計なこと言ったな」。おもむろに立ち上がると、普段一度もしたことがない夕飯の食器洗いを始めた。最後の姿だった。
翌日、帰らぬ人となって見つかった。「目の前が真っ暗になった。原発がおやじを殺した。憎くて憎くて……。おやじを返せって、何度も思った」
父が亡くなるまで、指示された通りに作業をしてきた。初めは自分だけではうまくいかず、栽培したキャベツは捨てることになった。その数2000株。父の日誌を必死に読み、勉強した。「つらかったけど、おやじが大事にしたこの地が荒れるのは、もっとつらかった」。使命感、ただそれだけだった。
同時に、朝から晩まで地域の除染作業に明け暮れた。やっと経営に集中できたのは16年だった。 あれから9年。あんなに必死でめくっていた父の日誌は、しばらく開いていない。「自分のやり方も分かってきたし、いつまでもおやじにしがみついてちゃ駄目だと思って」
いまだに原発再稼働の報道を見ると憤りを感じる。過去は忘れられない。だが、自分の野菜を待っている人がいる。
これからも農業を続ける。父がいたこの地で、生きていく。(高内杏奈)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース