作家司馬遼太郎さん(1923~96)の命日(2月12日)である「菜の花忌」にあわせ、栃木県佐野市郷土博物館で10~18日、司馬さんの自筆のはがき2枚が初公開される(火曜休館)。佐野は、司馬さんが太平洋戦争の終戦前後、戦車隊の小隊長として過ごしたゆかりの地でもある。
はがきの日付は91年6月と93年4月。当時市教委にいた出居博さん(64)=現・市民文化振興事業団事務局長=が司馬さんに講演を依頼したことへの返書だ。
「講演はしないことを原則にくらしています」と2通とも断りの内容ながら、「佐野にはいつか訪ねたいと思います」「そのときはひとりであちこちを歩くことになりましょう」と再訪したい旨が書かれていた。
少尉だった司馬さんは旧陸軍戦車第1連隊の小隊長として従軍していた。45年春、駐屯していた旧満州牡丹江省寧安県(現・黒竜江省牡丹江市)から、東京防衛に備えるため、佐野に移駐した。
所属していた第5中隊は植野国民学校(現・植野小学校)に駐屯した。千葉県の九十九里浜などから上陸する連合軍を迎え撃つのが目的だった。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル