4月に朝日新聞デジタルで配信した連載「子どもがいないとダメですか? 『異次元の少子化対策』の陰で」。生活苦を抱えて結婚や出産を考えられなかったり、子どもはもたないと決めていたり。彼らの「子どもがいない」理由を見つめ、その思いや選択を描きました。連載に寄せられた国内外の読者からの声を紹介します。(江戸川夏樹、伊藤恵里奈、長野佑介)
「私は自分だけを背負って生きる」
神奈川県在住の女性(56)
高校生の頃から「子どもは産まない」と決めていました。夫と結婚して24年になりますが、子どもはいません。
連載の第2回「夫婦で決めたはずなのに 『少子化』聞くたび自問した、産まない選択」を読んで、同じように考える人がいたことが心強かった。一方で、なぜその選択が揺らがなければいけなかったのだろうとも考えました。
私の母は専業主婦。父は朝も夜もないほど忙しく働いていました。母は、父からモラルハラスメントに近い言葉をかけられていても、必死に耐えていた。それが私にとってもつらかった。
私と妹がいなければ、母は離婚できるのではないか。私たちがかせになっているのではないか。そんなことを考え、育ちました。
だからかもしれません。「私は自分だけを背負って生きる」。それが私の生き方となっていったのです。
短期大学を卒業後に就職。定年まで働きたかったし、出世もしたかった。ひとりで一生暮らせるように、稼げるようになりたかった。そんな風に考えていましたが、周りは違う。
とにかく早く結婚して、子どもを。
そんな空気に追い込まれて、仕事が好きなのに、辞めていく同僚をたくさん見送ってきました。結婚と仕事を両立する時代ではなかったように思います。
30歳を超えて、仕事で知り合った夫と結婚。2人で会社を立ち上げました。
記事に出てきた女性と同じく、私も新婚の時から夫に「子どもはいらない」と話していました。それが原因で別れた彼氏もいましたから。
夫は「自分もいらない」と話していましたが、「親には自分たちの選択を言えない」とも。
私の両親も「孫の顔が見たい」と言うこともありましたが、人生は親のためや他人のためにあるわけではない。自分のためにあるものです。
好きな男性と2人で暮らすだけで私には十分。そこは曲げられない。
それでも、金融機関に住宅ローンを頼もうとすると、「子どもを産んだら仕事を辞めますよね」と言われ、断られたこともあります。
結婚している女性は子どもを産むもの。社会はそう回っている。ローンも介護も相続も……。子どもを産む前提で様々な仕組みができあがっている。そう感じることもありました。
それでも、子どもを産まないという心が揺らいだことはありません。子どもをかわいいと思ったことも、母性を感じたこともない。
「夫がいなくなったらさみしいよ」と言われることもあるのですが、さみしいから子どもを産むという考え方には絶対にならない。
閉経で私は解放された
数年前に閉経した時、私は解放されました。
子どもを産むのは当たり前。それを前提に、少子化対策が動いているように聞こえます。
育児から復帰したら、元のキャリアに戻ることができなかった。
保育園が会社と遠くて、仕事を辞めざるを得ない。
病院や教育にお金がかかる。
私の友人の話です。どれを考えても、子どもを産むのが当たり前の社会とは思えません。
「選択肢の多い人生を」と思い続けています。私にとっては、子どもを産むことが、選択肢を減らしてしまうように感じました。もし、そう考える女性が一定数いるのだとしたら。そこに少子化対策のヒントはないでしょうか。
少子化の根本は、息苦しさやジェンダー格差
山田みち世さん オーストラリア在住(46)
記事を読んで「子どもをもたない人が幸せを感じる社会こそが、結果的に子どもを産み育てやすい社会になる」という言葉に、とても共感しました。
日本社会の息苦しさやジェンダー格差が、少子化の根本的な問題です。付け焼き刃の少子化対策では「異次元」とうたわれていても、不十分だと感じます。
私は、途上国の女性を支援する仕事がしたくて、海外で学びました。カナダの大学院を出た後、日本で就職活動をしたこともあったのですが、就職フェアで「日本は年齢で給料が決まる。大学院出だと大卒と比べて無駄に2歳も年を取っているから、雇いづらい」と言われたことも理由で、海外で働くことを決めました。
外国人で職歴もない私が海外で就職するのは大変で、最初は希望どおりの仕事には就けませんでした。
でも、ボランティアなどで何年か経験を積んで、やりたい仕事に近づけるキャリアパスに何とか乗せることができました。プライベートでは30代後半で外国人の男性と結婚し、息子を2人授かりました。
日本では選択的夫婦別姓が認められていません。ですが、日本人が外国人と結婚する場合は名字を変える必要がありません。私は自分の名字を使い続けることができて、心底ほっとしました。もちろん名字が異なるからといって、家族の一体感が失われることは全くないです。
働き方に柔軟性があることも子どもを持つ選択を後押しするのではと思います。
私の働いている途上国支援の分野では、正規職員やパートタイム、短期契約などの様々な働き方があります。
雇用形態に関係なく、それまでの経験と知識によって専門的な仕事が任され、キャリアを積んでいけます。子育てなどで仕事を一時期休んでも、やる気があれば、また第一線で働く機会も与えられる。家族のあり方も多様です。私の同僚をみても、夫が妻の転勤先についていき、育児に専念するパターンは珍しくありません。
私はコロナ禍の最中、学生時代以来、久しぶりに日本で長期間暮らしました。1年半ほど、私が国際機関の仕事をリモートでして、夫が主に家事や育児を担ったのです。夫が子どもの弁当を作っていることに、周囲の人たちは驚いていました。
久々に暮らした日本では、息苦しさを感じた面もありました。海外では子どもが騒いだり泣いたりしても周りが温かく接してくれますが、日本では常に周りの目を気にして、迷惑をかけないように息を潜めていなくてはいけない。
私は当たり前のように育児や家事を共有できるパートナーがいるので、今まで何とかやってきましたが、それでも毎日心身ともにくたくたです。子どもたちが寝た後はしばらく立ち上がれないこともあるほどです。
日本の男性が家事や育児をする時間は、世界的にみても少ないとききます。子育てはどこの国でも大変ですが、日本は特に女性への負担が多すぎます。
いまだに認められない夫婦別姓問題にも見られる偏狭で保守的な家族観や、従来の性別役割分業といったジェンダー観を変える取り組みも並行しておこなうべきだと思います。
そもそも、子どもがいてもいなくても、長時間労働をしなくてもいいように、社会全体の底上げをするべきです。
私が経験してきた海外の職場も、まだまだワーク・ライフ・バランスを改善するべきところが多くありますが、管理職や子どもがいない人でも、定時で帰ることや休みをとることで肩身の狭い思いをすることは少ないです。
日本では長時間労働を尊ぶ風潮がまだ根強く、子どもがいる人のしわ寄せを子どもがいない人が受けているようにみえます。
「子どもがいる人だけが優遇されている」という不公平感が消えないかぎり、いろんな人の不満や息苦しさの矛先が、子どもがいる人に向けられてしまうのでは。
子どもがいない人たちが、不公平な気持ちになったり惨めに思わされたりする風潮をなくすべきだと思います。
多様な人たちが認め合えるような寛容な社会でこそ、政府の政策も家族と個人の需要にあったものができ、「子どもをもってもいいかな」と考える人が増えるのではないでしょうか。
「理不尽の解消」に共感
神戸市垂水区の近藤和夫さん(85)
わたしが社会に出たのは1961年、高度経済成長期のまっただ中でした。鉄鋼メーカーで働きました。
当時は「1億総中流」と言われた時代。結婚して3児に恵まれましたが、あの頃は「結婚したら男性が働いて女性が家庭を守る」ことができていたと思います。
でも、いまは違います。バブル崩壊や規制緩和によって、労働環境は悪化しました。仕事をせずに子育てに専念したいと思っても、それは難しい。多くの夫婦が共働きをせざるをえない状況にあります。なのに、そうした仕事と子育てを両立させる仕組みが乏しい。
出産した後の女性が働きづらくなる状況は改善されず、男性の育児休業も広がっていないと思います。
だから、連載の第6回「出生数増やす前にすべき事 社会学者が抱く『少子化は国難』への疑問」が強く印象に残りました。
富山大学非常勤講師の斉藤正美さんの「生活が落ち着かなければ、将来のことを考えることは難しい」「足元にある『理不尽』のひとつひとつを解消していくことが最終的には少子化傾向を反転させる近道になるのではないでしょうか」という言葉に、まさにその通りだとひざをうちました。
少子化に歯止めをかけるには、生活の安定が欠かせません。ここまで拡大してしまった非正規雇用の問題点をどう改善していくか。目の前にある理不尽をどう解消するのか。
高校、大学での経済的負担をもっと減らせないか、とも思います。国公立大学の授業料も本当に高くなってしまいました。子どもの教育費のことを考えれば、尻込みしてしまうのではないでしょうか。
少子化対策とは「子育てに心配のない仕組みを構築すること」だと思います。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル