お寺の境内で住職が石を掘り出したら、なんと石仏だった。記された年は疫病がはやっていた約300年前。おそらく疫病退散の石仏だったのでは、と思った住職はその石仏を境内に安置した。新型コロナ退散を願う人がさい銭を供え、手を合わせている。
石仏が見つかったのは、長野県伊那市高遠町の弘妙(ぐみょう)寺。田中勲雄住職(78)は、敷地内の旧七面堂近くに大きめの石が埋まっていることに気がついていた。子供のころから寺に住む義母の笠井広子さん(88)は「ずっと土をかぶってたの。コケも生えてねえ」。
この春、住職は総代会長の北原昭さんらと石を掘り出してみた。すると、お釈迦様を彫った石仏が現れた。高さは70センチほどで「享保12年」と刻まれていた。西暦に直すと1727年。当時のことを調べると、たびたび疫病や飢饉(ききん)が起こっていたことがわかった。
「ちょうど今の時代と同じだなと思って」。住職は新型コロナが早く収まりますようにとの願いを込め、新七面堂の下に石仏を安置した。口コミで広がったのか、コロナ退散を願う人がぽつりぽつりと訪れて手を合わせるようになった。
笠井さんは「掘ったらこんなにきれいだった」と石仏を慈しむ。高遠は石材加工で全国に知られた「高遠石工」と呼ばれる人々がいた地域。住職は「当時は高遠石工が活発に活動していた時代。おそらく高遠石工が彫ったものでしょう」と話している。(依光隆明)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル