13日午後2時すぎ、袴田巌(いわお)さん(87)の姉秀子さん(90)は弁護団とともに、東京高裁で再審開始の決定文を受け取った。
「この日が来るのを57年間待っていた」。支援者の前に姿を見せると、涙ながらに語った。その後の会見では「ひたすら願ってきた再審開始が、ようやく現実になった。(検察側に)抗告されたとしても頑張りたい」と話した。
大きな節目の日となったが、秀子さんの隣に巌さんの姿はなかった。
長期の拘禁、弟は精神を病んだ
9年前に釈放された巌さんは、秀子さんと浜松市内で暮らすが、47年余りの拘禁生活の影響で精神を病んだ。「妄想の世界にいる」(秀子さん)といい、会話がかみ合わないことも多い。「自分は勝って無罪になった」と信じており、この日はいつも通り、市内を支援者と一緒にドライブして過ごした。
そんな弟の代弁者になってきたのが秀子さんだった。
1933年生まれの秀子さんは、6人きょうだいの下から2番目。おっとりした末っ子の巌さんを幼少期から引っ張ってきた。
幼少期は戦時中だった。砲撃の音が聞こえると、巌さんと布団をかぶって近くの山に逃げた。
12歳で終戦を迎えると、勉強に励み、授業では一番に手を挙げた。学校卒業後は、教師からの推薦を受けて税務署で事務の仕事をするようになった。
「仕事に役立てたい」とタイプライターやそろばんを習い、男性ばかりの職場でも周りを気にせず働いた。22歳の時に結婚したが1年で離婚した。「一人の方が気楽。自由にがむしゃらに生きていた」
実家を離れていたが、スポーツが得意な巌さんがボクシングを始めると、地元での試合を見に行った。
「そんなことするわけない」 家族は信じた
33歳だった66年、巌さん…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル