編集委員・福島申二
NHKの大河ドラマ「いだてん」は視聴率こそいまひとつだが面白い。先月の放送では伝説の名選手、人見絹枝が、アムステルダム五輪の陸上女子800メートルで銀メダルをとっていた。
女性ゆえに偏見や好奇の目にさらされながら、それをはね返すように新しい道を拓(ひら)いたアスリートだ。しかし栄誉から3年後の1931(昭和6)年夏、24歳で病のために早世してしまう。
ドラマに重なるように胸に浮かんだのは、同時代を生きた一人の女性ジャーナリストだった。性差別という理不尽に立ち向かい、洞察に満ちた14冊の本を残して、人見と同じ夏に27歳で夭折(ようせつ)した。
その人は北村兼子という。
関西大学に学び、高等文官試験を受けようとしたが女性には許可されず、大阪朝日新聞の記者になった。たちまち頭角を現してめざましい筆を振るった。
たとえば、「(女学校で)教わった事は大きな噓(うそ)である。先生は『女は奴隷に甘んぜよ』という耳ざわりの悪い言葉を修身に用いないで、『女は女らしく』といったような、円滑で狡猾(こうかつ)な陰険的感化をもって、限定せられた不自由な範疇(はんちゅう)の内に女性を追い込んでしまう」
あるいは、「婦人が向上したら…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル