子どもを産み、育てる自由を奪われた人たちの訴えは、司法に届かなかった。仙台地裁は28日の判決で、旧優生保護法を違憲としながら、国の賠償を求める原告の訴えを退けた。
法廷を出た70代の原告女性は会見場の椅子に座ると、背中を丸め、体を震わせた。20人が全国7地裁で起こした強制不妊手術訴訟は、この女性の20年にわたる闘いから始まった。
宮城県の知的障害者施設を卒業後の1963年、不妊手術を受けさせられた。16歳だった。住み込みで職業訓練をしていた先の「職親」に言われ、行き先は分からぬまま、連れて行かれた。診療所には父親がおり目を覚ますと手術は終わっていた。半年後、父が「子どもができなくなる手術をした」と母に話すのをふすま越しに聞き、初めておなかの傷の意味を知った。
「なぜ手術させたの?」と父を責めても、口ごもるだけだった。3度結婚したが、不妊手術を打ち明けると、みんな離れていった。
97年、父から手紙が届いた。…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル