大学に通うことはできたが、卒業時に背負った奨学金や教育ローンは総額800万円――。高瀛龍(コウインロン)さん(32)=中国出身、東京都千代田区在住=は、奨学金の返済の大変さを身をもって知る男性です。大学卒業後に入った高給の外資系企業をやめて、大学生が各種奨学金のなかから自分に合ったものを無料で検索できるサービスを立ち上げました。どんな思いで始めたのか、高さんに聞きました。
――奨学金で苦労されたそうですね。
小学3年生のとき、両親とともに中国から日本に来て、埼玉県で育ちました。親は旅館での住み込み、スーパーやデパートの総菜店での仕事などを掛け持ちしていました。寝る時間を削って働いてくれたので食べていくのに困ることはありませんでしたが、塾には行けず、携帯電話の料金もアルバイトをして自分で払っていました。大学進学のためには奨学金が必要でした。
親は日本語が得意ではなく、どんな奨学金があるのか私が探すことになりました。ただ、高校でも大学でも、奨学金に詳しい人は周囲にいませんでした。ネットで探そうにも情報はバラバラ。大学に入った後、学内の事務連絡の掲示板に貼り出されるものをチェックしましたが、とにかく探すのに苦労しました。
――結局、どんな制度を使いましたか。
慶応義塾大に進学したのですが、キャンパスがある神奈川県藤沢市には埼玉の家から通えないので、住居費や生活費を含め、公庫の教育ローンと日本学生支援機構の奨学金を借りました。総額は800万円です。学生時代は、コンビニの夜勤や引っ越し、宅配便の倉庫での仕分けなどアルバイトも幅広くやりました。
返済は卒業7カ月後から月6万円ずつ。いまも返していますが、きついですね。若いころはもっときつく感じていました。
在学中、米ニューヨーク大に留学して金融を学ぶチャンスが来たのですが、さらに300万円も借金が増えることを知り、将来の返済が恐ろしくなってあきらめました。当時は留学支援の制度も、返済不要の給付型奨学金もあまりなかったんです。
――大学卒業後は。
外資系のコンサルタント企業に就職し、クライアント企業の戦略作りを担当しました。給料はいいし、分析や収益計画などのスキルも身につきました。ただ、とにかく忙しくて、競争が激しい環境は自分に合っていないと感じるようになりました。
結婚して子どもが生まれると、この子を含めた下の世代が学んだり挑戦したりするのをあきらめることがないようにしたい、という気持ちが膨らみました。
もともと、大学の恩師の影響で、いつかは独立して世の中の課題を解決する事業をしたいという考えがありました。独学でプログラミングスキルを勉強し、会社を辞めて仲間3人で起業して株式会社「Crono(クロノ)」を設立しました。
「クロノ」はギリシャ語で「時間」。自分の苦い経験から「若い人が時間を大事にし、経済的な理由でやりたいことをあきらめることがないようにするサービスを作ろう」という気持ちを込めました。
――そこで、検索サービスを。
最初は、企業が奨学金を出したり、入社してきた社員の奨学金返済を肩代わりしたりする仕組みを広げていこうと考えていました。
ただ、奨学金について調べる…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル