日中戦争のさなか、精神神経疾患専門の国府(こうの)台(だい)陸軍病院(千葉県市川市)に入院していた兵士たちの病床日誌(カルテ)が残されている。
山形県出身、28歳、元郵便局員。
兵隊にとられる前は勤勉に働き、結婚して家庭もあった。中国北部で赤痢に感染し、内地に向かう病院船で頭痛や不眠を訴えるようになる。
《山西省で部隊長の命令で部落民を殺せることが最も脳裡(のうり)に残っている……自分にも同じ様な子供があったので、余計厭(いや)な気がした……恐しい夢は其(それ)以来ずっと時々ありて悩まされる》
《良民六名を殺したることあり、之(これ)が夢に出てうなされてならぬ、又(また)廊下なぞで誰かに殴られそうな気がして そっとよけて歩くと云(い)う》
「顔貌(がんぼう)表情に乏しく被害妄想的曲解」と、医師のメモ。病名「精神乖離(かいり)症」。兵役に耐えられないとされた。
神奈川県出身、35歳、元鉄道員。
1937年、日中戦争の上海上陸作戦に参加。渡河中に中国軍の迫撃砲弾が至近距離で爆発し、一時失神した。
《戦斗(せんとう)間熾烈(しれつ)なる弾雨中に於(おい)て大なる危機を生じたる衝撃 又惨烈なる生活並(ならび)に激戦長時に依(よ)る疲労累積等特異なる戦場の諸悪影響に依り発病せしもの》
《絶えず分隊長より殴打され苛(いじ)められしことが残念で病気になりし》
「精神的打撃に耐えざる状態にして眼瞼(がんけん)手指震顫(しんせん)」と、医師のメモ。病名「乖離性反応」。兵役に耐えられないとされた。
ひそかに集められた患者
1938年に軍が整備した国…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル