早稲田大学の隣で90年近く学生を見守る店がある。部活動やゼミの記念ペナントを長く作り続けてきた「記念ペナントオギワラ」(東京都新宿区西早稲田1丁目)。卒業シーズンを迎え、例年なら注文した品を受け取りに来る学生らでにぎわう時期だが、今年はひっそりとしたままだ。
早大とオギワラ その長い歴史
早大正門前の大隈通り。角の本屋を曲がった突き当たりに「ペナント」の大きな看板が目に入る。店内には「祝卒業 早稲田大學」「早稲田VS慶應」などと額装されたペナントが100枚ほど、壁一面に並ぶ。奥で角帽を縫う店主の荻原恵子さん(70)が仰ぎ見て、つぶやいた。「これ全部、兄が作ったの」
1933年に父・富光さんがこの地に開業した当初は、学生服や紳士服を仕立てる店だった。出征した父が帰国後、体調を崩して亡くなると、代わって母・ゆき子さんが店を守った。
ペナントを始めたのは、終戦の約10年後。早大の運動部が対戦相手と交換するペナントを、母が手がけるようになった。さらに約10年後、音楽系の団体に所属する学生が「先輩一人ひとりの名前を記したペナントを卒業式に贈りたい」と店を訪れた。長く続く卒業ペナントの始まりだ。
校章や数字、アルファベットは母が型を起こし、複雑な漢字は当初、刺繡(ししゅう)で補った。ただ、刺繡(ししゅう)は針を通した周辺の布を引っ張り、出来上がりが引きつって見えることもある。90年ごろから、恵子さんの二つ上の兄、久昭さんが少しずつ漢字の型を起こしていった。「學(学)」や「辯(弁)」などの旧字体も久昭さんの仕事だ。
校名、卒業年、学生の名前、絵柄。卒業ペナントの注文を受ける時、久昭さんは細かく聞き取った。それから配置を考え、文字や図柄の型を起こす。「祝卒業」や年号などは事前に用意できるが、同じ文字でもサイズが違えば改めて型を作った。
パーツがそろったら、土台のフェルトにバランスよく貼り付けていく。フェルトは時間が経つと縮むため、土台と文字にそれぞれ半紙を裏打ちし、乾いたら、特注したえんじ色の額縁に入れて完成だ。
常連は早大のゼミや部活、学…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル