江戸ブームと言われた1980年代、後に江戸風俗研究家として活躍することになる杉浦日向子さんは、初めての江戸エッセーにこう書いた。「いま、なぜ江戸なのか」という発想からではなく、絶え間なく意識し続ける存在として江戸を考えたい――。時代を問わず、江戸は多くの人々が気になる存在であり続け、杉浦さんの著作は今も読み継がれる。その背景に何があるのだろう。
吉原から江戸をみる
杉浦さんは、丸っこい字で書いた3枚の企画書を取り出した。80年代前半、東京・高田馬場の喫茶店。受け取った筑摩書房の編集者、松田哲夫さん(72)=現・同社顧問=は、20代半ばの漫画家の大胆な発想に驚いた。
拡大する自宅で落語のレコードを手にする漫画家時代の杉浦日向子さん=1985年
杉浦さんは日大芸術学部を中退後、時代考証家の故稲垣史生氏に師事。80年に漫画雑誌「ガロ」でデビューし、江戸の町人や武士の生活、遊郭、幕末の彰義隊を題材に漫画を描いていた。
若い感性で見事に江戸の空気をとらえている。そう評価していた松田さんが「彼女が案内人になって内側から見た江戸を伝えれば、多くの人に江戸をもっと近くに感じてもらえる」と執筆を持ちかけた江戸案内書の企画書だった。
題は「絵本 江戸のアリンス」。「ありんす」は江戸時代に吉原の遊女が使った郭詞(くるわことば)だ。吉原の世界をまち、ひと、くらしに分けて解説し江戸を案内しよう、との内容だった。松田さんは「表現力だけでなく企画力もかなりなものだ」と感じた。
拡大する『江戸へようこそ』をはじめ杉浦さんの本を二十数冊編集した松田哲夫さん
同時代にまじっている江戸
松田さんの助言も踏まえ、絵本ではなく吉原以外にもテーマを春画や戯作(げさく)、「粋(いき)」にも広げ、86年にエッセー『江戸へようこそ』を出版。作家の故中島梓さんや高橋克彦さん、劇作家の岡本螢さんとの対談も盛った。
杉浦さんは前書きにあたる「前…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル