1887(明治20)年か、1889(明治22)年か。これまではっきりしなかった俳人・正岡子規らの集合写真の撮影年が、新たに見つかった資料で分かった。子規と一緒に写っている人物の遺品の中に同じ写真があり、その裏に……。
撮影年が分かったのは、子規ら愛媛県内ゆかりの12人が写った集合写真。送別会の記念写真として東京で撮影されたもので、子規のほか、俳人の柳原正之(極堂)や後に松山市長となる岩崎一高らが写っている。
この写真は子規に関する資料の中でも、これまで撮影年が確定していなかった。子規研究の基礎資料とされる「子規全集」(講談社)や「子規選集」(増進会出版社)などによって、撮影年を1887年とするものと、1889年とするものが混在していた。ただ、写っている人物の一人が1888年に大阪にいたことを根拠に、「1889年は誤り」との指摘は出ていた。
写真の撮影年を示す証拠は、後…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル