コンクールが近づく夏の放課後。高校の校舎に響く吹奏楽部の楽器の音は、競い合うように熱を帯びてくる。
「これからミーティングを始めます」
部長の福山恵利さん(3年)が呼びかける。
岩本泰智さん(2年)が「今日は課題曲の練習に取り組みます」と返す。
いつも、そんなやり取りに始まる練習。テナーサックスとユーフォニアムの中低音のみが、しんみりと校舎内にこだまする。
部員は2人だけだった。
1年前の県吹奏楽コンクールの時は違った。部員が8人いて、最少規模の奏者数ながら金賞の快挙を成し遂げた。
しかも、20人以下の少人数バンドを対象に開催される南九州小編成吹奏楽コンテストへの出場権も得た。
「え! 南九州大会出られるんだって!」。福山さんは審査結果を先輩からLINE(ライン)で知らされ、友だちと買い物中だった店内で思わず声を張り上げた。
出場の結果は金・銀・銅の3段階評価で銅賞だったが、福山さんにとっては、初めて夢らしい夢を追いかけた経験に思えた。
小学生の頃から地元の島の祭りで太鼓をたたいたのが、最初の楽器との関わり。手拍子や指笛で盛り上がるお年寄りたちを見るのが好きだった。
コンクールに出たい。部員たった2人になっても。焦りや希望、悩み、喜びとともに音楽に向き合い続けた吹奏楽部員の1年をたどりました。
太鼓の先輩に誘われ、中学で吹奏楽部に。将来は事務員になりたくて商業高校に入った。何か大きな目標を立てて続けてきたわけではない。
それだけに、たった8人で南九州大会の舞台を踏んだことは夢のようだった。
中庭の「カルテット」は不発、望み託した最後の手段
でも、福山さんはそこでふと、気づいた。
メンバーのうち3年生は5人。冬に引退したら、残るは3人……。「やばいじゃん」。合奏すらまともに成立しなくなる。
間もなく寂しい冬がきた。年が明け、さらに1人の仲間が退部した。
福山さんと岩本さんに残され…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル