母国バングラデシュで子どものころ、モハメッド・ヌルル・エラヒさん(56)は、映画「七人の侍」を見て「武士道とは人を助けることだ」とサムライに憧れ、22歳の時に来日した。2年後、郷里の友人がいた新潟県長岡市へ。金型製作所に勤めながら空手を学び、メキメキと上達して人に教えられるほどに。
20年余り後の2014年。空手を教えていた同市立中之島中央小学校で、児童たちから「先生、これで学校をつくって」と、現金約5万円を渡された。授業で育てたコメの売上金だ。母国には貧困で教育を受ける機会に恵まれない地域がある。日本人の妻が「学校を建てたい」と語っていたのを、児童たちが知ったのだという。
背中を押され、寄付を募り、私財も投じて、2年後、父の故郷のナマプティア村に小学校を建てた。以来、授業料は無料で、200人近い子どもたちが使う教科書や、教える先生たちの給料も賄い続ける。
だが、ずっと続けられることではない。「地域の人たちで学校を運営できるようにするには」。悩みながら車を運転していた2年前、レンコン栽培を知った。
道路脇の沼にきれいなハスの花が咲いていた。車を止めて見入ったら、知人が「あの下に食物のレンコンができるんだ」と言った。母国の国花はハスと同じく沼に咲くスイレン。でもレンコンは知らなかった。母国で育てられれば、働く場ができ、収入を得て、地域が自立できる――。
次の日、再び現場へ。たまたまいた人に、「本当に食べ物ができるのか」と聞いたら、そばに住んでいた市特産の「大口れんこん」の高橋秀信生産組合長を紹介された。
高橋さんのもとに通い、栽培方法を一から学んだ。初めて食べたレンコンはシャキシャキした食感にナシのような甘さがある。カレーに入れれば母国でも根付くと確信し、その年の冬に25アールの農地を買い、レンコンの種を植えた。母国から若者を呼び寄せ、勉強しながら栽培方法を学んでもらうためだ。ハス田の横に若者が暮らす空き家も買った。来春、5人ほどがやってくる。
8月上旬、レンコンの収穫が始まった。水にひざまでつかり泥に足をとられながらも、収穫したレンコンを手にして言った。「楽しくて仕方ないね」(白石和之)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル