2019年7月、京都アニメーション第1スタジオ(京都市)に放火して社員ら36人を殺害したとして、殺人など五つの罪に問われた青葉真司被告(45)の第3回公判が7日京都地裁であり、被告人質問が始まった。事件直後の警察とのやりとりや、京アニに興味を抱くきっかけなど、自身の言葉で初めて語った。
青葉被告は車いすを押されて証言台へ移動。裁判長から促されてマスクを外し、休廷を挟んで計約2時間半、弁護人の質問にはっきりとした声で答えた。
最初の質問は、事件直後に駆けつけた警察官と青葉被告との約3分間の問答について。6日の公判で証拠として音声が流れたもので、弁護人は発言の真意を聞いた。
弁護人「(事件の動機を聞く警察官に対し)『お前らが知ってるんだろ』と3回、同じようなことを言った。『お前ら』とは誰のことか」
被告「警察の公安部になります」
弁護人がなぜそう思ったか尋ねると、青葉被告は「火災では即座に警察が呼ばれず、救急車や消防車が現れ、その後で警察が呼ばれる。早く来たので公安だと思った」と説明した。
過去の公判で検察側は、青葉被告が事件前、インターネット掲示板に「公安に監視されている」と書き込んだと指摘。弁護人が、警察官が書き込みを知っているとの認識だったのかと聞くと、青葉被告は「そうなります」と述べた。
ゲームきっかけ
その後、青葉被告の生い立ちの質問が続いた。
小学3年の時、両親が離婚。父はトラック運転手で、母がミシン販売の仕事をするようになってから「(両親の)仲が悪くなった」とした。
父親と同居することになったが、父が仕事を辞めると経済的に苦しくなり、「食べていくのに困った」と説明。正座をさせられ、ほうきの柄でたたかれるなどしたという。「暴言も日常茶飯事で覚えていない。体が大きくなるまで続いた」と話した。
父の暴力に苦しみ、母に会いに行ったこともあったが、会えなかった。母方の祖母には「離婚しているので『うちの子ではない』と追い返された」とした。中学時代、経済的な理由で引っ越し、転校。柔道をしていたが、新しい中学に柔道部はなく、学校も「ずるずる行かなくなって」不登校になったと説明した。
ただ、1994年に進学した定時制高校は皆勤で卒業した。「勉強を真面目にやっていた」とし、その理由を聞かれると「真面目だと先生を独り占めでき、家庭教師みたいに細かく教えてもらった。いい環境になった」と振り返った。
京アニへの興味を持つきっかけも、高校時代の出来事という。青葉被告は「京アニにつながっていくことになる」と前置きし、友人に勧められたゲームの名前を挙げた。このゲームの開発会社が手がけた別のゲームを、京アニがアニメ化したことも言及。「それがなかったら『ハルヒ』も見ていなかった。小説を書いていなかったことになる」と述べた。
検察側は青葉被告と京アニの「接点」として、2009年に「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」に感銘を受けた経験だったと指摘していた。青葉被告が定時制高校に通っていたのは、それより10年以上前だった。
都内の専門学校に進学したのは、「ゲームの音楽を作る人になりたかった」からだと述べた。だが、「よく言えば丁寧、悪くいえば時間をかけて教えすぎている」と感じて半年で退学した。
公園で洗濯も
同じコンビニ店で約7年間働くなどした後は無職になり、電気やガス、水道も止められ、公園の水で洗濯した。生活保護を受けようと市役所へ行ったが、「そのまま働いてください」と断られたという。「弱者切り捨ての時代だったと覚えている」とした。
窃盗などの事件を起こして有罪判決を受けた後は派遣の仕事を転々。すぐに辞めた理由について青葉被告は、短い時間で仕事を覚えるよう上司に言われたことがきっかけだったと説明。「(上司と)話し合いで片付いた記憶がない。底辺というか、派遣に対して、面倒見がいいわけない」と投げやりに語った。(光墨祥吾、関ゆみん、戸田和敬)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル